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クレー、カンディンスキーと 恩地孝四郎
展覧会
執筆: 記事中参照   
公開日: 2011年 7月 23日

画像提供:ときの忘れもの

19世紀末から20世紀はじめにかけて巻き起こった新しい美術運動の中から生まれたパウル・クレー、ワシリー・カンディンスキーの版画作品と、それらの影響を受けながら日本で独自の抽象作品を制作した恩地孝四郎の作品、あわせて20点を出品します。

■パウル・クレー Paul KLEE
1879年スイス生まれ。1898年高校を卒業と同時にドイツへと移り、ミュンヘン美術学校で学ぶ。1914年友人らとチュニジアを旅行。この時期を境にクレーの絵画は「線描」から「色彩」へと大きな発展を遂げる。同年に始まった第一次大戦に従軍しながらも、兵舎で絵を描き続け、各地で展覧会を開き次第に名が知られるようになる。
1919年、美術工芸学校であるバウハウスが設立され、クレーは友人のカンディンスキーと共に教師に任命される。1933年ヒトラーがドイツ政権を掌握。同年スイスへ亡命。生まれ故郷へ逃れたあとは、不便な暮らしと晩年に発症した皮膚硬化症との闘いの間も創作に専念し、ドイツ時代には描かれなかった大作やたくさんのデッサンを遺した。

■ワシリー・カンディンスキー Wassily KANDINSKI
1866年ロシアのモスクワに生まれる。純粋抽象画の創始者。モスクワ大学で法律、政治・経済を専攻したが、30歳でミュンヘンに移住し、クレーらと共に絵画を学ぶ。1910年に最初の水彩による抽象画を完成。
1912年、マルクと年刊誌「青騎士」を刊行。モスクワ美術学校、バウハウスの教授を勤める。1944年、歿。

■恩地孝四郎 Koshiro ONCHI
1891年東京生まれ。竹久夢二に感化を受ける。東京美術学校で洋画・彫刻を学ぶが中退。藤森静雄・田中恭吉と[月映]を刊行。萩原朔太郎の詩集『月に吠える』の装幀と挿画を担当、28年『北原白秋全集』の装幀で装本家の地位を確立。抽象画の先駆者、また日本の版画界のリーダーとして大きな足跡を残した。『飛行官能』『海の童話』『博物誌』『虫・魚・介』など優れた自作装画本を刊行した。1955年永逝(享年63)。

※全文提供: ときの忘れもの


会期: 2011年7月26日(火)-2011年7月30日(土)
会場: ときの忘れもの

最終更新 2011年 7月 26日
 

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