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寺田就子:曇り日の影
展覧会
執筆: 記事中参照   
公開日: 2011年 7月 02日

画像提供:GALLERY CAPTION | Copyright© Shuko Terada

『影』といえば、たいていの場合は、光りを遮った先にできる黒い存在のことを指す。
その一方で光りそのものを意味することもある。
「星影」といえば、ほのかに輝く星の明かりが思い出される。
相反するイメージを含めて使われる『影』という言葉からは、交錯する光りの反射が感じられる。
そして、光りの反射により水面などに映り込んだ姿もまた『影』として表現される。
影を見ながら光りを感じ、反射する光りを見ながら影を感じていたい。
-寺田就子

寺田就子(てらだしゅうこ/1973年大阪府生まれ)は、1997年に京都市立芸術大学版画科を卒業後、 主に関西を中心に活動をつづけております。昨年は名古屋で行われた『あいちアートの森』に参加し、また今春は、『京芸Transmit Program #2 転置』(京都市立芸術大学ギャラリー)での、質の高いインスタレーションに注目が集まりました。

作品の多くは、スーパーボールや文具、本や楽譜といった身のまわりの既製品と、鏡、ガラス、プラスチックなどの透明感や光の透過を感じさせる素材とを慎重に組み合わせることで成立します。そして、その反射や映りこみを利用して、それらがまるで宙空に浮かんでいるかのような浮遊感が醸し出されます。近年見受けられる、シャーレ状のガラスと鏡を用いた作品は、ひとつひとつはどれも小さく、一見するとささやかな様子でありながら、近づくほどに緊密な奥行きを秘めており、その豊かな空間性は小宇宙の広がりを思わせます。

『曇り日の影』と題した本展では、寺田が以前から気になっているという"影"からイメージされた、光る素材や反射を利用した作品によって展開いたします。

曇天の下、不意に雲間から顔を見せた日の光の変化を、路面に伸び行く影によって知ることがあります。 影とは通常、ものに遮られて光が当たらない暗いところを指しますが、"月影"、"星影"という古語があるように、光によって生じる現象として、明暗どちらにも用いられる興味深い言葉です。光があるからこそあらわれる影。それは相反するものではなく、ひとつの対として、その時々の在り様によってうつろいゆくものであることが示されているのかもしれません。

これまでも寺田は、刻々と変化する空の様子を作品に取り入れてきました。なかでも曇りの日の、光と影とが一体となっているように感じるひとときが好きで、光と影の境界があいまいな、ぼんやりとした曇り空の向こうに見えるほのかな日の光は、ひときわ美しく感じられると言います。集光アクリル板の、切断面が自然に光る性質を利用した『オレンジに灯る影』(参考作品)では、影となった部分のアクリル板の切断面が、明るい部分に比べて、より輝いているように見え、光と影とが静かに交錯する様子を見て取ることが出来ます。

その他にも"影"は水面や鏡に映る姿を指したり、面影といった言葉もあります。そこには存在しない、また目には見えないものの気配をそこはかとなく思うように、寺田の作品を通じて私たちも、何をかの影を感じ取ることでしょう。

全文提供: GALLERY CAPTION


会期: 2011年7月16日(土)-2011年8月13日(土)
会場: GALLERY CAPTION

最終更新 2011年 7月 16日
 

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