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野田英夫 遺作展:漂泊と望郷の画家
展覧会
執筆: カロンズネット編集   
公開日: 2011年 4月 06日

Copyright© Hideo Noda
画像提供:ときの忘れもの

野田英夫は、1908年アメリカのサンタクララで日系移民の子として生まれました。少年時代を熊本で過ごし、18歳でアメリカへと、この後も日米間を行き来する旅は、野田にとって、二つの祖国を持つ自分のアイデンティティの所在を確かめる旅でもありました。「アメリカン・シーン」の画家として、自分の身辺や市民生活を温かなまなざしで描いた作品は、日米で高い評価を得ます。代表作《帰路》《都会》など、時空を越えた複数のイメージが一画面上に重なり合うというディエゴ・リベラの影響を受けた壁画的な画面構成は、野田の独特なスタイルとなりますが、画家としてこれからという1939年(昭和14)30歳の若さで亡くなります。今回の展覧会は、貴重な野田英夫の油彩、水彩、素描など21点を展示し、野田の創作の軌跡を辿ろうとするものです。

野田英夫 Hideo NODA
1908年アメリカ・カリフォルニア州サンタクララで日系移民の家に生まれる。3歳の時に父母の郷里熊本に帰り、少年時代を過ごす。1926年渡米。1929年カリフォルニア・ファイン・アーツに入学し、在学中にディエゴ・リベラの壁画制作を手伝う。1931年同校を中退し、ニューヨーク北部のウッド・ストック芸術村に住み、壁画・テンペラ画の研究をする。1932年ウッド・ストック美術協会賞受賞。同年カリフォルニアに戻り、サンフランシスコ美術協会展に出品、マリア・ストーン賞を受ける。1934年、ホィットニー美術館の全米美術展に出品。帰国。1935年銀座青樹社画廊で個展。壁画制作。1936年再びニューヨークに渡る。1937年欧州を遍歴し9月に帰国。新制作協会会員になる。1938年銀座日動画廊で個展。1939年永逝(享年30)。

※全文提供: ときの忘れもの


会期: 2011年4月19日(火)-2011年4月30日(土)
会場: ときの忘れもの

最終更新 2011年 4月 19日
 

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