Sticky Sloppy Lumpy |
レビュー |
執筆: 小金沢 智 |
公開日: 2010年 1月 14日 |
通常、展覧会が始まってからその内容が大きく変更されることはない。内容とは作品のことである。つまり会期の始まりで展示されている作品は基本的に終わりにもある。確かに、作品の破損や機器の故障、あるいは作品が「不適切」であると判断された場合や、そもそも長期に渡る展示が不向きないしは不可能な場合など、作品が会場から撤去されることはあるかもしれない。 だが、あるとしてもそれは一部である。法的に決まりがあるわけではもちろんないが、たとえば私がある展覧会を訪れたとき、今ここにある作品は明日にはすべて変わってしまうだろう、とは考えない。今ここにあるものは明日もあるだろう、会期が終わるまでこうあるだろうと思っている。それは、展覧会の主催者と鑑賞者の間に結ばれている暗黙の了解のようなものだ。もし作品内容がすべて変わってしまうのだとしたら、はたしてその展覧会を同一の展覧会だと見なすことができるだろうか? TURNER GALLERYで行われた「Sticky Sloppy Lumpy」は日に日にその内容が変わる展覧会だった。いや、日に日に、というのは正確ではない。場合によっては刻一刻とその内容が変わるからだ。その様子はあたかも展覧会前の搬入を見ているようだった。正確を期するために取材の日時を記しておこう。それは2009年12月12日の、おおよそ十四時半から十五時半くらいだ。そのとき、会場にはオガクズが積み重ねられ、木材が床に置かれ、壁に判読不能の言葉がラッカーで書かれ、そして今まさに作家によって壁にペインティングがされていた。壁に映写した映像の形をなぞるように、壁にペンキ(?)を塗り付けているのである。それらは、断片だけ見ても意味が分からない。第一、なぜ今描いているのか。既に展覧会は始まっているのではなかったか。あるいは、ちょうどイベントの時間にでもあたっていたのか。 そうではない。なぜなら本展は、そのような行為の連続を一つの「作品」として見せるものだからである。有賀慎吾、上野恭史、奥田栄希、尾関諒、宮本智之、村山悟郎の計六名からなる作家のその場での「行為」は、「エージェントカード」なるカードに基本的に規定されている。そこには一人の作家から別の作家に向けた「あなたはこれこれこうしなさい」という指示が書かれている。指示を受けた作家はこれを受諾しても拒否しても構わない。実行された場合はそのカードに実行された模様の写真が添付される。このカードはポートフォリオのようにまとめられ会場に置かれている。 DMにはこう書かれている。「一部の作品は、会期初日からメンバー全員がランダムに現地で制作し、毎日その内容が更新されます」。これだけ読めば、さも公開制作でも行うかのようだ。けれども、公開制作が基本的に一人の作家によって作品の完成ないしその過程を見せるために行われるものであるならば、複数の指示者と実行者による大量の指示の受諾と拒絶の下に構築されるこの作品空間は、一般的な意味での「公開制作」と同一視できない。最終的なゴールが明確ではなく、かつ、指示者と実行者が別人であるかぎり、指示とその結果の間には必ず大小様々な「ズレ」が生まれるだろうからである。そして、取り立てて文脈の整合性が認められない行為と行為、物と物の接続と切断は、本質的に無意味であるにもかかわらず、それでも当の行為を続けるメンバーの行動そのものによって正当化される。訪れた鑑賞者は行為そのものとしての作品を見る。 一つ一つの指示はそのほとんどがたわいもないもののように思える。この仕組み(ルール)を記載したプリントを壁に貼れとか、絵具の袋を投げろとか、アイマスクをして壁に文字を書けとか、その文字の識別できる箇所を識別できないようにしろとか、汚れてきたから掃除をしろとか、まだまだあるのだがそんなところだ。これらが行なわれているTURNER GALLERYの一階とは別に、三階に個々の作品がグループ展らしく展示されているが[fig.1]〜[fig.3]、その展示と、このカードの「指示」の集積としての一階の光景が照射するのは、日常の、取るに足らない物の集積による「作品」の姿だ[fig.4]〜[fig.8]。いわゆる「作品」らしい姿をしているか否かの違いはあるにせよ、六名の作家が本展を通して私たちに見せるのは均質化している「日常」の変換であり交換の先にあるささやかな豊かさである。ナイーヴに過ぎるかもしれないが、私はそれがとても心強かった。なぜなら行為の受諾には、拒否できる以上当人の意思が不可欠だからだ。本展にはその、決定的な意思の集積がある。個人と個人の関係のつながりがある。それを見せることは、きわめて重要なことに私には思えたのである。 最後に。本展にテキストで参加している蜷川千春は、そのテキストでこの「作品」のタイトルを以下の通り提案している。年の瀬に会場に通い、素晴らしいパフォーマンスを行ってくれたメンバーに敬意を表し、その長いタイトルを打ち込みたい。
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最終更新 2015年 11月 03日 |
有賀慎吾、上野恭史、奥田栄希、尾関諒、宮本智之、村山悟郎の若手作家六名によるグループ展。会場のTUNER GALLERYは絵具メーカーであるターナー色彩株式会社のギャラリーである。一階、三階のスペースを使用したこの展覧会は、三階では個々の作品をいわゆるグループ展らしく展示しているが、一階では一風変わった試みを行なっている。そこには個々の作品はなく、個々の「行為」の集積がある。 説明しよう。作家のその場での「行為」は、「エージェントカード」なるカードに基本的に規定されている。そこには一人の作家から別の作家に向けた「あなたはこれこれこうしなさい」という指示が書かれている。このルールを壁面に貼付けろとか、アイマスクをして壁に文字を書けとか、汚くなってきたから掃除しろとか、一つ一つはたわいもないことだ。指示を受けた作家はこれを受諾しても拒否しても構わない。そうして、会場の様子が日毎に作り替えられる。「行為」の集積があたかも「作品」として提示されるのである。複数の作家による偶然性のきわめて強い「公開制作」と言えるかもしれない。 指示が実行された場合、そのカードには実行された模様の写真が添付される。実行されなかった場合は写真が添付されない。このカードはポートフォリオのようにまとめられ会場に置かれているから、時間があったらこれもぜひ見て欲しい。そこには、今目の前にある空間がどのようなプロセスを経てできあがったか明かされている。ただ、目の前で行なわれているかもしれない「行為」をお見逃しなく。