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田口行弘:Über 〜 performative sketch
レビュー
執筆: 平田 剛志   
公開日: 2009年 12月 07日

    ギャラリーを埋め尽くす膨大な数のスケッチ。それだけならよくある展示である。だが、今年ベルリンで行われた≪Über performative skizzen≫(2009年、パフォーマティヴ・インスタレーション、スケッチ)の映像作品を見れば、鑑賞者を囲むように展示されたスケッチは異なる相貌を露わにするだろう。その映像を通して私たちが眼にするのは、展示されているスケッチが壁面を動き出し、空間内にさまざまなかたちを作りだすパフォーマティヴ・スケッチなのだ。スケッチは空間を越えて(Über)、躍動的に私たちに迫ってくるだろう。

田口行弘展「Über - performative sketch」会場風景 photo : Kei Miyajima, Copyright © 2009 Yukihiro Taguchi, courtesy : Mujin-to Production

その動くスケッチとは、ものを少しずつ動かしては撮影し、何千枚にも及ぶ画像をつなぎ合わせて映像となるストップモーション・アニメーションと呼ばれる技法で作られている。そのような技法で作られたアニメーションも現代美術の映像作品も目新しいものではない。だが、田口の映像作品はこれまでのストップモーション・アニメーションと決定的に違う点がある。それはスケッチ内に描写されたイメージが動くのではなく、展覧会場に展示されたスケッチそのものが動くのである。つまり、ギャラリー内に展示されている物質としての大量のスケッチが、家型になり、三角形になり、さらには連なって動きだし、インクレディブルな世界が展開するのである。

他にも田口はギャラリー会場内にある家具や什器、ものが動き出す「パフォーマティヴ・インスタレーション」による映像作品≪Ordnung≫(2008)を制作している。ここでも同じようにストップモーション・アニメーションによってものがユニークかつ幾何学的な動きを展開する。そのダンサンブルな映像空間は、画面に費やされた労力と時間を忘れさせるほど、映像を見ることの喜びをもたらしてくれるだろう。私たちが目撃するのは、家具や什器の配置や移動によって作りだされる立体作品の生成などという生温いものではない。なぜなら、ここには人が出てきては、語らい、飲食をするなど、展覧会場であることの「事実」と時間の経過が記録されているのだ。≪Über performative skizzen≫における目まぐるしいスケッチの動きもスケッチが展示された時間・期間の記録である。1コマ1コマ撮られたスティル写真が動き出す時、スケッチやものは空間に新たな時空間を再創出するだろう。

しかし、田口の映像作品はスケッチや家具、什器を使って、ナラティヴなストップモーション・アニメーションを作ることではない。それらは、映像内にしか存在しない世界を創出することである。むしろ、田口の作品は空間に生成される作品制作のプロセスを記録した「ストップモーション・ドキュメンタリー」と呼びたくなるような作品なのである。映像を制作しながらも、あくまでも空間に物質やスケッチを存在させることに主眼を置いているからである。

そして本展においても作家からFAXでスケッチ等が日々送られ、それらが展示に加わり、日々変化していくという。したがって、鑑賞者は訪れる日によって、異なる展示内容を見ることになるだろう。つまり、展示はすべてが流動的映像的に構成されるのである。そう、これは展覧会自体が壮大なストップモーション・アニメーションとなっている。「展覧会」として作品は自立/成立しながらも、その過程の集積が最終的に映像作品へと結実すること。田口の作品は空間と同時に、時間さえも越えて(Über)、映像の時間軸へと私たちを回収/統合していくのだ。

最終更新 2015年 11月 02日
 

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