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小野英樹「風景(以前)」画展 -Just Before View-
レビュー
執筆: 小金沢 智   
公開日: 2009年 11月 30日

fig. 1 小野英樹「風景(以前)」画展-Just Before View-(TOKYO CULTUART by BEAMS)展示風景|画像提供:TOKYO CULTUART by BEAMS

fig. 2 小野英樹「風景(以前)」画展-Just Before View-(TOKYO CULTUART by BEAMS)展示風景|画像提供:TOKYO CULTUART by BEAMS

fig. 3 小野英樹「風景(以前)」画展-Just Before View-(TOKYO CULTUART by BEAMS)展示風景|画像提供:TOKYO CULTUART by BEAMS

fig. 4 ≪untitled 2009≫2009年 画像提供:TOKYO CULTUART by BEAMS|Copyright © Hideki ONO

絵画における「風景」などと聞くと、私はその言葉が内包する問題の途方のなさにおののいてしまうが、今も昔も「風景」は画家に何かしらのインスピレーションを与えて止まないようだ。洋服のセレクトショップとして知られるBEAMSの一部門として2008年12月にオープンした、TOKYO CULTUART by BEAMSで開催された「小野英樹「風景(以前)」画展-Just Before View-」は、「風景(以前)」に射程を定めた展覧会である[fig.1][fig.2][fig.3]。

「風景」ならそれとなくわかるが、では「以前」とは?作家のステイトメントによれば「捉えようとするその次の瞬間には消えてしまう」ものだというが、その意味するところは何より作品にあらわれている。描かれているのはどこともつかない「風景」だ。山らしきもの、トンネルらしきもの、道路らしきもの、家らしきもの、ビルらしきものなど、画面には私たちの暮らしのそう遠くないところにあるであろうものたちがいくぶん叙情的なタッチで描かれている。しかしそれらはエッシャーの騙し絵よろしく空間が不自然に切断/接続されており、モノクロームないし落ち着いた色調も手伝って全体的に不穏な空気を漂わせている。展示されている18点を見渡すかぎり、この不穏さは出品作品の共通項のようである。

注目したいのは、先に記した画面内のモチーフの切断/接続が、まったく強引に行なわれているということだ。繰り返し引き合いに出してしまうがエッシャーの作品がしかし見たところ整合性があるのとは対照的に、小野の今回の作品(すべて≪untitled 2009≫)はすべからく一つの整合性もない。ある作品は、中景に描かれている山腹らしきものの手前がぼんやりしていると思えばビルが重なっており、そのビルが山から抜き出ているかと思えばその山の中腹からは紫色のブロックが突き出ている[fig.4]。画面の左約四分の三の空の色は紫だがそこから右は突如水色に変わっている。だが先のビルは、その中間に何事もないかのように屹立している。小野は強引なまでにある色や形を画面に組み込むことによって、異なる関係性にある事物を異なる関係性のまま見せようとしているのである。その意味で小野の「風景(以前)」はきわめて絵画的な虚構のもとに成り立っている、すなわち現実的な「風景」とは言い難いものだ。

だが私はその非現実的な画面にむしろ「風景」の本質を見る思いがする。一方で取り壊され、一方で建てられる建築物が同時に存在する都市の風景を私は日常的に目にし、今日あったものが明日あるとは限らないことを経験的に知っている。また逆も然りである。あるいは特別意識せず道を歩いていれば、数秒前に見たはずの風景すらあやふやな記憶となってしか立ちあらわれないだろう。そう、現実の風景はそもそも流動的であり、それを捉える私の視線もまた、ほとんどの場合不確かなのだ。であるからして敢えて作家のステイトメントに立ち返るならば、「捉えようとするその次の瞬間には消えてしまう」ものは「以前」ではなく、「風景」そのものにほかならない。その瞬間が、画面には消えることなくしっかり定着している。


参照展覧会

展覧会名: 小野英樹「風景(以前)」画展 -Just Before View-
会期: 2009年10月30日~2009年11月19日
会場: TOKYO CULTUART by BEAMS

最終更新 2015年 11月 02日
 

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