山下和也:mirror image |
レビュー |
執筆: 小金沢 智 |
公開日: 2009年 11月 18日 |
書いては消し、消しては書く。一向に文章が進まないのは、頭で考えている時間が長く手が止まっているからだ。普段なら書きながら考え、それで十分足りるのだが、文章のとっかかりが見つからないとそうなる。とっかかりとは、文章の核に当たる部分だ。しかしその不在は、書かれるべき内容が見つからないことと必ずしも同義ではない。むしろ内容が多岐にわたり、一つの整然としたフォーマットに収まることを許さない場合そうなることの方が多い。ギャラリー名芳洞blancで行なわれた山下和也の初個展「mirror image」は、そういう作りをした展覧会である。 まず出品作品について簡単に説明すれば、今回山下が発表したのは、平安時代後期の密教仏画の推定復元模写である≪普賢延命菩薩≫(絹に天然岩絵具・箔など、1,390×670mm、2004年)、その対作品として従来の仏画の図像を学習し、しかし独自性も加え制作した≪普賢新生菩薩≫(絹に天然岩絵具・箔など、1,380×600mm、2007年)、よりオリジナリティの高い双頭の仏画≪双頭盧舎那仏≫(楮紙に天然岩絵具・箔など、1,600×900mm、2009年)、そしてドローイング≪御宙絵図≫の四点である。先三点は新旧問わず事前に制作された作品であるが、≪御宙絵図≫はギャラリー壁面に仮設の壁紙を貼り会期中作家が直接ドローイングを行なうことで制作された。したがって時期によって描き込み量が異なる作品であり、私が訪れた展覧会三日目(10/1)は全体像が描写されながらも今後さらなる描き込みを予感させるものだったことを記しておかなければならない。≪御宙絵図≫は山水画的な作りをしているが来迎の場面も描かれており、つまり本展の出品作は広く「仏画」というジャンルで括ることができる。 次いで動線から展覧会を考えてみよう。最初に鑑賞者の目に入るのは、入口からちょうど正面に展示されている≪御宙絵図≫である[fig. 1]。ギャラリー名芳洞は二つの空間からなるが、山下の個展が開催されたのは面積の狭い、長方形の空間である「blanc」と名づけられているそれだ。視線はまず≪御宙絵図≫に向かい、そして空間向かって右に展示されている≪双頭盧舎那仏≫[fig. 2]、左に展示されている≪普賢延命菩薩≫、≪普賢新生菩薩≫の二点へと移動する[fig. 3][fig. 4]。四点すべてを俯瞰することはできず、視界に入るのは最大でも三点であり、その空間の狭さが作品との距離を近づける。仏画が現在一般的に馴染みのある画題とは言えない以上、自由度の高い≪御宙絵図≫[fig. 5]が展覧会全体の導入の役割を果たしていると考えられる。 何の導入か。作品=仏画との対話である。≪普賢新生菩薩≫の割れた顔から覗くもうひとつの顔[fig. 6]、≪双頭盧舎那仏≫が手にする鉢に乗っているもうひとつの生命[fig. 7]。それら新しいいのちの誕生は、これからまだ手が加えられるだろう≪御宙絵図≫の、「余白」というよりもその「空白」ゆえに自由な空間が出発点となっている。次第に≪御宙絵図≫がこれから生まれ落ちる生命のための母胎のように見えてくる。ちいさないのちは、鉢の中から飛び出し山景へ遊びにいくかもしれない。あるいはそのまま双頭盧舎那仏の手元で成長するかもしれない。山下の描く仏画は、時間的にも図像的にも新しいがゆえに、鑑賞者それぞれの「〜のようにも見えた」という解釈を許容する幅の広さがある。 一方で復元模写である≪普賢延命菩薩≫や、作家の創意が加えられながらも伝統的な仏画の学習が元になっている≪普賢新生菩薩≫との対面は、即興性の強い≪御宙絵図≫との対称性から、オリジナリティについての思考も巡らせる。菩薩の顔面が中央から割れもうひとつの顔があらわれている≪普賢新生菩薩≫は、たとえば同じく顔が中央から割れもうひとつの顔があらわれている平安時代の仏像、≪宝誌和尚立像≫(像高159cm、平安時代、西住寺蔵)を想起させるだろう。前者は金色の顔面であり螺髪が認められることから阿弥陀仏であると考えられ、その点後者とは異なるのだが、作家が≪普賢延命菩薩≫の対として制作しながらそこに絵画・彫刻問わず様々な図像をこめていることがわかる。そう、≪普賢延命菩薩≫、≪普賢新生菩薩≫、≪双頭盧舎那仏≫、≪御宙絵図≫はそのまま制作順であるが、類例の顕著な作品からそうではない作品への変化の過程でもある。すなわちここで山下は、作品の図像そのものに鑑賞者が向き合うようセッティングしながら、仏画というきわめて様式的なジャンルを元に絵画における模写/引用/オリジナルの問題にも踏み込んでいる。個展タイトルにある「mirror image」とはその試みの端的な言語化としてある。 それではオリジナルとは何か。きわめて難しい問いだが、近代以降の芸術家はすべからくそのオリジナリティの確立を目指している。様々な角度から見たあるもののかたちを一つの画面に収めてしまうものもいれば、男性用便器にサインをして展覧会に出品したものもいた。それらが今なお芸術における革命として記述されているのは、試みに類例がなく、かつその後の芸術に多大な影響を及ぼしたからである。 ここで「模写」という行為を考えてみれば、そうして制作される作品がオリジナリティという点ではいささか弱いと思われる方は少なくないだろう。模写は作品ではない、と言い切る人もいるかもしれない。山下が≪普賢延命菩薩≫で行なっているのは推定復元模写、現在残っている作品から当時の色や状態を推定して復元したものであり、つまりその図像はかつて誰かによって作られたものである。では山下の行為にオリジナリティはないのだろうか。そもそも、オリジナリティに重点を置き作品の善し悪しを判断するのは可能か。室町時代以降、江戸幕府が明治政府に取って代わるまでの約400年間画壇の中心にあった狩野派が、その隆盛を築いたのはまず徹底的な粉本の模写があったからである。偉大な先人の模写という行為を通して、あるいはそれらを乗り越えるようにして新しい図像が生まれ出たことは今さら言うに及ばない。天明屋尚、フジイフランソワ、山口晃、山本太郎といった日本絵画からの引用を積極的に行なう現代作家の作品を思い起こしてもいいかもしれない。≪普賢新生菩薩≫しかり、彼らの作品と比べると山下のそれは引用元に対する作為が極力抑えられており、まるでそのような作品が最初から存在しているようなさりげなさがあるが、しかしその極小の改変こそ同作における山下の創意なのである。「オリジナリティ」という言葉にこだわれば、山下が模写という行為を積極的に選び取っていること自体、作家のオリジナリティと言うこともできる。 ただ従来の仏画を振り返ると、まさに山下の創作である≪双頭盧舎那仏≫は見慣れないがゆえに虚を突かれたということを告白しておかなければならない。「仏画」として見たとき、新参者の≪双頭盧舎那仏≫は分が悪いのだ。私の視線は、≪普賢延命菩薩≫、≪普賢新生菩薩≫の二点によって「仏画」としてのフィルターがかかっている。私が冒頭で「内容が多岐にわたり、一つのフォーマットに収まることを許さない」と書いたのはそういう意味である。フィルターを取り除き、ただ一枚の絵として見る困難がある。そこで私は引き裂かれる。 山下の作品は、そうして私に解決し難い問いへの思考を促す。どう見るのが正しいか、などと作家に問うても仕方ないだろう。作家が作り上げた一つの空間から何を掬い取ることができるかは、私自身にかかっているからだ。作品が私の思考を乱反射していることに気がついた。 |
最終更新 2015年 11月 02日 |