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TOKYO FIBER '09:SENSEWARE
レビュー
執筆: 小金沢 智   
公開日: 2009年 10月 19日

fig. 2 東信xユニチカ株式会社|画像提供:TOKYO FIBER展実行委員会

fig. 1 東信xユニチカ株式会社|画像提供:TOKYO FIBER展実行委員会

    2009年4月、ミラノトリエンナーレに合わせてトリエンナーレ美術館で開催されたデザイナー・原研哉ディレクションによる「TOKYO FIBER ‘09」の巡回展。その時期イタリアに行くことができず悔しい思いをしたため、今回東京の地で見ることができとても嬉しい。各企業の新製品お披露目の意味もあってかハイクオリティな展示でありながら入場無料であり、連休中の会場は大変賑わっていた。つくづく思うのだが、「現代美術」の展覧会とは対照的にデザインや建築の展覧会はたとえ「現代」の作家・作品を対象にしたものでも人の入りが多いものによく出くわす。一概に言うこともできないものの、客層もいかにも勉強中の学生風の人からビジネスの一環で見に来ているスーツ姿のサラリーマン風の人など老若男女幅広く見受けられ、その熱気を見てしまうと常日頃閑散としたギャラリーで一人「鑑賞」している現実がいたたまれなくなる。商業的であるか否か、社会的であるか否かがそれらを分かつものだとしたら、いかに「現代美術ブーム」だと言われていてもその閉塞性を考えずにはいられない。

fig. 4 鈴木康広x東洋紡績株式会社|画像提供:TOKYO FIBER展実行委員会

fig. 3 鈴木康広x東洋紡績株式会社|画像提供:TOKYO FIBER展実行委員会

    余談が長くなってしまったが、展覧会には15人と2社による、最先端の人工繊維を用いた17作品が展示されている。全体を見渡すと人工物である繊維を用いながら有機的な「生命」を感じさせるクリエイションがとりわけ目立つ。展示空間の外と内を横断し、テラマックという土に還る繊維を巨大なプランターとし、その上に苔を植えたのは東信の≪苔時間≫(2009年)[fig. 1, 2]だ。数種類の苔が使われているというが、そこでは土ではなく人工繊維が生命の母胎としての役割を果たしている。定期的に霧吹きで水を与えることでそれらは成長し、私が会場を訪れたのは展示開始から数えて三日目だったが、その中には明らかに新芽らしいものを見ることができた。「人工」というと「自然」と対立するもののように考えがちだが、ここには人と自然を仲介するものとしての「人工」の新しい可能性と思考がある。東はそれを「第三の自然」と呼んでいる。※1 「第三の自然」と聞くと、同じく21_21 DESIGN SIGHTで開催され東も参加した吉岡徳仁ディレクション「セカンド・ネイチャー」展(2008年10月17日〜2009年1月18日)を思い出すのは私だけではないだろう。そこで吉岡が試みたのは「新しい自然のかたち」、つまり「第2の自然」の形成だった。この差異が明らにするのは、東が花屋として、フラワー・アーティストとして新しい自然の創造者であろうとするのではなく、あくまで既にある自然の媒介者であろうとする態度であり、今回の作品もまた、苔の生命力や美しさを引き出そうとしたものにほかならない。なお東の苔の作品としてはAMPGで発表した≪MOSSY HILL(What a fucking wonderful world)≫(2008年)が思い出されるが、今回の湿地帯のごとき苔の集合は多様なグリーンが折り重なり、モノトーンの作品が多い会場の中でアクセントを与えていた。

fig. 6 青木淳x東レ株式会社|画像提供:TOKYO FIBER展実行委員会

fig. 5 青木淳x東レ株式会社|画像提供:TOKYO FIBER展実行委員会

    あるいは、鈴木康広の三次元スプリング構造体を使った「呼吸するマネキン」、≪繊維の人≫(2009年)[fig.3, 4]。息を吸い、または吐くように繊維状の人体の一部が運動するその作品は、奇妙だがおかしな暖かみがある。日産自動車株式会社デザイン部+日本デザインセンター原デザイン研究所による≪笑う車≫(2009年)は自動車でありながら人間を思わせるもので、プリウレタン弾性繊維を用い車のフロント部分でまるで人がにっこり笑うような動作を可能にしている。正面から見ると人の顔のような車は時折見かけるが、≪笑う車≫は車が本当に笑いかけることでドライバーと人との関係性を構築するユーモアに満ちた具体的な提案である。 これらの作品は展覧会の性質上、「美術作品」と呼ぶべきものではないかもしれない。作品は特定の企業が開発した人工繊維を用い、発展させたものであり、ディレクションを務めた原がセレクトした参加者には個人名だけではなく日産自動車株式会社デザイン部+日本デザインセンター原デザイン研究所やパナソニック株式会社など企業名が含まれている。

    けれども、たとえば一点だけで支えられ、宙に浮くかのように設置されている青木淳の照明≪THIN BEAM≫(2009年)[fig.5, 6]などを見ると、ある一つの素材が切り拓くクリエイションの可能性を感じないではいられない。美術の歴史も素材の開発・発展とともにあったことを考えれば、本展は必ずしもプロダクトの可能性だけを押し拡げるものではなく、美術家のそれもまた拡大させる力を孕んでいる。そもそも重要なことはそれが「デザイン」と呼ばれるか「美術」と呼ばれるかではなく、どれだけ私たちの好奇心を刺激するものであるか、なのだ。巨視的な眼差しで見れば、「デザイン」と「美術」の垣根などあってないようなものではなかったか。

脚注
※1
以下の書籍から引用した。
藤崎圭一郎「人工繊維は未知の感覚を触発することができたのか?—TOKYO FIBER ’09 ミラノ展報告」、『TOKYO FIBER ‘09—SENSE WARE』、p.47、朝日新聞出版、2009年
最終更新 2010年 7月 22日
 

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