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大巻伸嗣:絶・景 -真空のゆらぎ
レビュー
執筆: 小金沢 智   
公開日: 2009年 9月 21日

fig. 1 ≪言葉の無い予言≫2009年|Photo: Shigeo Muto|画像提供:トーキョーワンダーサイト

fig. 2 2009年8月1日オープニングレセプション風景より≪真空のゆらぎ スカイライン≫2009年|Photo: Shigeo Muto|画像提供:トーキョーワンダーサイト

    大巻伸嗣の個展「絶・景 -真空のゆらぎ」は哀しい。
    なぜか。 大巻が今回インスタレーションの素材として使っているのは、ゴミを焼却することで生まれたスラグである。大きく四つに区切られるトーキョーワンダーサイト渋谷のSPACE Cで大巻は、スラグを敷き詰め大量の水までも使用し大規模なインスタレーションを展開した。≪言葉の無い予言≫(スラグ・廃棄された小舟・ブルーレイディスク、2009年)[fig. 1]と題されたその作品空間で私たちは、薄暗がりの中砂浜のごときスラグの浜を歩き、その正面に写し出されている「都会」の光景を鳥の停まる廃棄された小舟越しに見る。ここで私たちはゴミの末路であるスラグの集積の側に立っており、日常生活の場であるビルの建ち並ぶ光景は遥か彼方にある。足下に積み重なっている大量のスラグは私たちが生活を営む中で生み出してきたものにほかならず、したがって私たちは本来ならそれらをリアリティのあるものとして感じなければならない。

   しかしそれを切実なものとして感じさせられるほどのリアリティはその場にない。私は靴を履いているから、注意書きを守りスラグに触れないから、傷つくことがない。つまり、リアルな痛みを感じない。スラグを使っている、あるいは廃棄された小舟を使っているというだけで、いずれもフィクションの域を出ていないのである。作家としての多大な制作意欲はトーキョーワンダーサイト渋谷の空間をまったく変貌させていることから十分に伝わるが、本展を見ることで環境問題についてどれだけ私たちが身につまされるかというと心もとない。

    あるいは、一階のSPACE Aと二階のBを利用してのインスタレーション、≪真空のゆらぎ スカイライン≫(スラグ、2009年)[fig. 2]。一階には山状のスラグがあり、螺旋階段を上がると通常の吹き抜け部分が塞がれ、その空間に大量のスラグが敷き詰められている。つまり階下の山状のスラグはそこから落ちてきたらしいということがわかるのだが、それ以上の感慨を覚えることはなかった。

    SPACE CからDの≪罪の無い破壊者≫(スラグ・水・ブルーレイディスク、2009年)に至る間にわずかだが、ほとんど暗闇になる瞬間がある。いまだ先の≪罪の無い破壊者≫の映像が見えていない頃合いのほんの数秒だ。その時分暗闇が私に襲いかかり先の見えない恐怖を味わったが、それをのぞき展覧会から何か特別な感情を感じたということはやはりなかった。だから哀しいのである。私が不感症なのかもしれないが、環境問題を取り扱うならば小学校の頃社会の授業で見せられた教材のビデオの方がよほど印象深く残っている。

    プレスリリースには作家が、「ごみとは何か」という問いかけを起点にどのようなテーマを掘り下げてきたかが簡単に綴られている。そして最後は、「アートの力によって社会への提案を行ないます」と結ばれている。けれどもこの展示が、はたしてどれだけの「社会」と繋がっているか?そもそもトーキョーワンダーサイトという場所が、どれだけの都民に認知されているのか?いや、自分を棚上げしてはいけない。私の語る「美術」が、どれだけの「社会」、「現実」と関係し合っているのか?そう考えずにはいられない。ゆえに何度も繰り返してしまう。哀しい展覧会である、と。

最終更新 2010年 7月 05日
 

編集部ノート    執筆:小金沢智


私は毎日何かしらのゴミを捨てている。だから今回大巻がインスタレー ションに用いたスラグには、私が捨てたゴミの燃えカスも含まれているかもしれない。TWS渋 谷に出現した大巻の大規模なインスタレーションは、私たちが快適な生活を送る一方で絶対的に生み出している負の部分を露わにする。ただ、その上を靴を履い て歩き、注意書きを忠実に守り、特にそれらに触れないよう気をつけ、傷つくこともない私は、結局その深刻さを明日にでも忘れてしまうかもしれない。自身が 痛みを負わなければ何が深刻かなどわかりはせず、その現実から目をそらして生きていくことは実は容易い。展覧会が露わにしたのは、そのような現代の〈哀し さ〉でもある。


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