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遠藤利克:供儀と空洞
レビュー
執筆: 小金沢 智   
公開日: 2009年 6月 22日

fig. 1 「遠藤利克展—供儀と空洞—」会場風景より | 画像提供:国際芸術センター青森 | Copyright © Toshikatsu ENDO

fig. 2 ≪空洞説ー木の壷 2009Ⅰ≫(イベント)2009年 | 画像提供:国際芸術センター青森 | Copyright © Toshikatsu ENDO

霧雨が降る中、国際芸術センター青森に向かう。赤松が繁り、植物が匂う林の中にその建物はある。

「遠藤利克展—供儀と空洞—」(2009年5月23日〜6月28日)のメイン会場である弓形の展示室に入った瞬間、鑑賞者を迎えるのは豪快な水の音だ。室内全体に反響しているから、最初はその音がどこから発せられているのかわからない。しかしそれは明らかに、外の雨の音ではない。雨音はしとしとと柔らかく、そこで響いている音とは異質のものだ。のちにそれは、展示室の奥、壁一面に設置された鉄板の向こう側から発せられていることがわかる。三メートルを超す鉄板の上を見上げると、水が凄まじい勢いで一点から流れ落ちているのだ。鉄板に耳をそばだてるほど近づくとむしろその音は弱まり、遠ざかるとまた強まる。なんにせよ鑑賞者はこの音を耳にしながら、その他の作品を見ることが要請される。

いや、見ることが要請されると書いたが正確には違う。遠藤の作品は、視覚だけではなく聴覚や嗅覚、そして想像力が動員される類いのものだ。平置きの鏡面に馬の骨の残骸を残す≪鏡像段階説 2009・馬≫(馬骨・鏡、2009年)は、展示室の天井を映しているという点で視覚的な要素の強いものである。けれどもその鏡は、単に像を映すという役割だけを負っているのではない。すなわちその鏡は、宗教的な性格を持っている。今はそう言われることでしかそれとわからない馬骨の飴色の残滓が、そこが供犠を執り行うための聖なる場であったことを示している。鏡は神と私たちを結ぶ架け橋である。

その儀式が具体的に何を目的とするものなのかは明示されていない。だがその痕跡と、舟のかたちをした≪空洞説—木の舟≫(木・(火)、約11メートル、2009年)や、壺のかたちをした≪空洞説—木の壷 2009 Ⅱ≫(木・(火)・70×70×H210cm、2009年)、≪空洞説—木の壷 2009 Ⅰ≫(木・タール・土・(火)・口径44×H121cm、2009年)[fig. 2]が火にかけられることによってその姿を黒々と変貌させていることを見れば、既に当の儀式が終了していることには想像が及ぶ。炭や水の臭いを嗅ぎながら、鑑賞者が会場で求められるのはかつて私たちの遠い祖先が行なっていたであろう供犠へと思いを巡らすことにほかならない。

壷と同様の過程を経ていると想定できる、常人の一回りは大きい左手を形象化した≪鏡像段階説 2008≫(水・水銀・鉄・アクリル・タール・(火)、2008年)は、供犠を象徴的にあらわしたものと考えられる。焦げた片手はあたかも生きながら火にくべられた、儀式の犠牲になった生贄を思わせるのに十分だ。掌に溜まっている水銀から、それが鏡として利用された歴史を鑑みてもいい。私は遠藤の作り出す作品のそこかしこに、歴史が記述される以前の大地に住んでいた人々の記憶を見る思いがする。それは痛々しくもあるが生々しく、静かな興奮を引き起こす。

「青森で作品を発表することに、私は少なからず興奮を覚えている。それは、青森という土地が、私の嗜好の中心を刺激する濃密な磁力を発しているからだ。

それはもしかしたら、いささか過剰な思い込みかも知れない。だがそれが思い込みであるとしても、重要なのは、それにもかかわらず青森は私の想像力を下方から突き上げて止まないという、その事実の方なのだ。(後略)」

遠藤は本展のチラシにこのような言葉を寄せているが、私もまた、たとえば白神山地があり、縄文時代の最大級の集落跡である三内丸山遺跡がある、青森という土地に特別な思いを抱くものである。本展はそもそも、今も歴史の古層をあらわにしている青森という土地だからこそ作り上げることのできた展覧会ではなかったか。もし青森が遠方に過ぎ、巡回して欲しいと望む人がいたら、それはこの展覧会の性質を大きく見誤っている。重要なことは土地の記憶を立ち上がらせることなのだ。なにより供犠とは元来、そう簡単に見ることのできるものではないのだから。


参照展覧会

展覧会名: 遠藤利克:供儀と空洞
会期: 2009年5月23日~2009年6月28日
会場: 国際芸術センター青森

最終更新 2015年 11月 01日
 

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