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浅田政志:浅田家 赤々・赤ちゃん
レビュー
執筆: 小金沢 智   
公開日: 2009年 5月 02日

fig. 1 「浅田家 赤々・赤ちゃん」(AKAAKA)展示風景

fig. 2 「浅田家 赤々・赤ちゃん」(AKAAKA)展示風景

fig. 3 「浅田家 赤々・赤ちゃん」(AKAAKA)展示風景

fig. 4 ≪手を合わせましょ。はーい、いただきまーす≫濱田家、2009年2月15日、島根県
Copyright © Masashi ASADA

fig. 5 ≪心のこもった手紙はアフロを被って≫益本家、2009年2月22日、高知県
Copyright © Masashi ASADA

    2009年の木村伊兵衛写真賞を受賞した浅田政志の個展「浅田家 赤々・赤ちゃん」が、清澄白河のAKAAKAにて開かれた(2009年4月16日〜5月17日)。AKAAKAは写真集を主とした出版社である赤々舎がこの四月から新たに持った空間であり、場所は2007年4月から2009年3月までの二年間同所で運営された東信のプライベート・ギャラリー(AMPG)を引き継いでいる。基本的な内装はそれからほとんど変わっておらず、AMPGからある展示空間手前の本棚も赤々舎が出版している書籍の陳列棚として有効に利用されている。

    展覧会場に入ってまず驚いたのは、空間と空間の間の垂れ下がる、およそギャラリーや美術館では見たことがない飾り物だった[fig. 1]。作品の話からはじまらず恐縮だが本展の重要な要素なので先に言及しておこう。展示室にはほかにも色鮮やかな造花が置かれ[fig. 2]、顔のあるくもや星が天井から吊るされ、水彩絵の具で描かれたらしい大きな絵が掛けられていた[fig. 3]。貼り紙には丁寧に、絵が父・章、アメリカンフラワー(造花)が母・順子、額・ライトボックスが兄・幸宏、くも・星が兄嫁・和子、そして写真が弟・政志によるものであると記載されている。つまり本展は、浅田家総勢五名がこれまでのように被写体としてだけではなく展示にも参加することによって作られているのである。そしてそれらの演出によって浅田政志の写真に漂うあたたかみが増幅されている。だから先に「浅田政志の個展」と書いたのも以下のように訂正しなければなるまい。本展は「浅田家」による展覧会である、と。

    さてここで、漫画家の尾田栄一郎が井上雄彦との対談で、インタビュアーに「おふたりとも、突き詰めるとやりたいことは、エンターテイメントでしょうか?」と聞かれ語った次の言葉を紹介したい。

「僕の場合は、そうです。読者を楽しませないと、マンガを描いてる意味はない。じゃないと自分も楽しくないです。他の作家はわからないですけど、読者を楽しませて、自分も楽しむのが、当たり前だと思います。エンターテイメントをやることに疑問を持ったことはないです」。※1

    私はこの発言にエンターテイメントにたずさわるものの最も正しい姿勢を認め、浅田家の人々もまたこれに近い種類のエンターテイナーだと思うのだがいかがだろうか。浅田の写真にはおよそネガティブな要素が認められない。誰かが傷つくことも、苦しみ泣くこともない。『浅田家』(赤々舎、2008年)とは異なり今回初めて浅田家以外の家族が被写体になっているが、人々はほとんどが笑顔であり[fig. 4]、たとえば益本家のように必ずしも全員が笑顔ではない場合もその光景たるや微笑ましいものがある[fig. 5]。家族で一枚の写真に写るという行為がそうさせるのかわからないが、演出されているにしてもそこに愛がなければそのようなことにはならないだろう。もちろんそこに写る人々が、つねに笑顔を絶やさない、聖人君子のような人たちなわけではあるまい。人は他人を傷つけることもあれば悪意の犠牲になることもあり、それらが絵画や写真のテーマになることを私はまったく否定しない。しかしそうではなく、もしかしたら幻想かもしれないが、それでも〈幸せ〉にフォーカスすること。ネガティブに向かいやすい現代にあって、浅田家の表現はそこに真摯であるゆえに人々の心を打つ。本当にいい展覧会である。

脚注
※1
「スペシャル対談 part1_尾田栄一郎」、『井上雄彦ぴあ』、p.36、ぴあ、2009年

参照展覧会

展覧会名: 浅田政志:浅田家 赤々・赤ちゃん
会期: 2009年4月16日~2009年5月17日
会場: AKAAKA

最終更新 2010年 9月 22日
 

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