TOTAL展 |
レビュー |
執筆: 小金沢 智 |
公開日: 2009年 4月 21日 |
化学薬品を扱う工場だったというその空間は、むき出しの梁に蛍光灯が取り付けられている天井と白く塗られた壁、そして元々のタイルを剥がしたことによってあたかもレコード盤の溝を刻み込んだかのような肌合いの床が特徴的である。壁面の向かい合う二面、そこにはいっぱいに窓が取り付けられている。日本では珍しいマットな質感の、アメリカでは1950年代よりモダンなスペースでコーディネートされていたVesseL USA Inc社のプランターの輸入、販売を始めた株式会社エルモルイスの発表会を兼ねた企画展が行われたその場で、東信の鉢植えと佐々木憲介のペインティングが展示された[fig. 1][fig. 2]。 切り花を用いた作品が中心であり、こうして発表するのは初めてという東の根付きの植物によるアレンジメントに注目したい。東はカラフルな色彩のものもラインナップにある中、プランターの色を黒と白に限り、その中で大胆な組み合わせを試みた。 たとえば、苔とサボテン[fig. 3]。定期的な水分が必要とされる苔と、それが不要であり砂漠などの乾燥地帯でも生き抜くことのできるサボテンは、自然界ではおよそ同居することのない組み合わせである。水との関係が正反対であるために生じる手入れの困難さは、つまり生きることのそれにも結びつく。それぞれの寿命は縮まらざるをえないだろう。 ただそれでも、美しいグリーンのしっとりと湿った柔らかな苔と、そこに根を下ろす、円形でありながらも刺をまとっていることで硬質な触感を誘発するサボテン。そしてその上に配置された、小動物の頭蓋骨という視覚的にも相反するものたちの共存は、私たちに新しい造形感覚をもたらす。すべてにではないが、今回東は異質な植物の組み合わせだけではなく、タランチュラやイグアナの剥製、アンモナイトの化石、小動物の頭蓋骨などをアレンジに取り入れたのである。それはまさに、シュルレアリスムの作家が熱狂とともに迎え入れた詩人ロートレアモン伯爵の言葉「手術台の上のミシンと蝙蝠がさの出会い」を思い起こさせる。通常では結びつきの考えられないもの同士が組み合わされることの意外性とそれによって生まれる痙攣的なまでの美しさがあるとすれば、東の作品はシュルレアリスムを汲んでいるといって差し支えないかもしれない。東は生きている植物と既に死んだものたちを並べることで前者を引き立てようとしたわけではないだろう。なぜなら植物と同じく自然が作り出した生物のかたちの機能美を前にすれば、生者も死者も対立するものではありえない。時を止めたものの有する美しさもある。苔の植わった細長いプランターにイグアナがあたかも這っているかのように配置したものもあるなど、そこには東なりのユーモアも含まれている[fig. 4]。 女性の肖像を中心とする佐々木のペインティングは、そうした東の大小様々な鉢植えを俯瞰するかのように壁面と柱にそれぞれ均等な間隔で掛けられた。彼女たちはほとんどがクラシックな服をまとい、それはもはや過ぎ去ってしまった時間の、日本ではないどこかで生きていただろう人々の美しい生活を思わせた。東の用いたプランターが白黒で植物もグリーンを基調にしたものがほとんどだったため、佐々木の作品が空間に効果的なアクセントをつけ、荒々しくもある空間に植物とは別種のぬくもりを与えているようでもある[fig. 5]。展覧会を訪れた当日は四月上旬にしては比較的気温が高く、ビルの三階に位置する同所の窓からは太陽の光が降りそそぎ、気持ちのよい風がその間を行き交っていた。佐々木のペインティングがそもそも日本の風土を描いたものとは明らかに異なる雰囲気を漂わせ、加えて東がたとえばブラジルなど外国産の植物を多く選んだこともあり、空間の無国籍性も手伝ってまるで異国の暑く乾いた土地に自分がいるかのような錯覚を引き起こした。急激な気温の上昇によって、一週間という短期間だったが一部の植物は会期中に大きな生長を遂げたという。 全体を顧みれば、本展が関係者に向けたプランターの発表会としての趣を強くし、そのために一般的な告知がほとんど行われなかったことは残念なことである。「TOTAL」と名づけられた展覧会タイトルの由来を案内から引用して終わりにするが、そこには展覧会と展示品、そしてその販売についての明確な理念が簡潔に綴られている。
どちらかに傾くでもなく、それらが高い水準で達成されていたことが私は嬉しい。 参照展覧会展覧会名: TOTAL展 |
最終更新 2015年 11月 01日 |