東信:AMPG vol.25 |
レビュー |
執筆: 小金沢 智 |
公開日: 2009年 12月 24日 |
四角形のステンレス製の枠がワイヤーで天井から吊るされ、さらにその中に五葉松が縛られるようにワイヤーで固定されている。各辺3カ所、計20カ所。東信の≪式 1≫である[fig.1]。そのあり方は暴力的で一見松を痛めつけているようにも見えるが、根を曝し、重力に逆らうよう宙に浮く松の姿はその雄々しさをむしろ増幅させている。展示にエッジを効かせているのが照明である。薄暗い展示室中作品を照らす唯一の照明を真上に設置することで、真っ白い床に≪式1≫の輪郭が照射される。真上であることで均整のとれた影の姿がまた効果的で、美しい。2005年、NY はTribeca Issey Miyakeで発表以来初となる日本での展示が、三菱地所アルティアムでの3年ぶりとなる個展、「東信 AMPG vol.25」(2009年3月18日〜5月24日)で実現された。 本展は清澄白河で2007年4月から2009年の3月までの二年間、東が運営し、植物を用いた24回の作品発表を行ったプライベートギャラリーの集大成として位置づけられる展覧会である。会期を四つに分け、第一期(3月18日〜4月1日)に≪式1≫と≪式2≫を、第二期(4月3日〜4月20日)に≪Botanical Sculpture #1 Assemblage≫と≪Botanical Sculpture #2 holding≫を、第三期(4月22日〜5月6日)に≪Concrete×Bulb≫と≪rolling≫をそれぞれ展示し、第四期(5月8日〜5月24日)には新作として東の生まれ故郷である福間の植物を使った作品が発表される。当初はAMPGで発表した作品を各会期一作品ずつ展示予定だったが、最終的には二作品を展示することで落ち着いたようだ(なお≪式1≫はAMPGでの発表作品ではない)。 展示構成はきわめてシンプルである。まず中央に間仕切りが設けられ、展示空間は大きく二つに分けられている。第一期は手前の空間に≪式1≫を、奥に≪式2≫を展示[fig.2]。壁面には間仕切りを境目にして均等に、一面にAMPGで発表された計24作品の全映像を小型液晶モニターで流し、もう一面にコンセプトシートを計8点掛けた。アルティアムが決して広くないからこそ、長方形のシンプルな空間を有効に利用した構成である。そしてこの整った構成こそ、東の作品を見せるのに最も適したスタイルにほかならない。 先に記した≪式1≫や氷付けした五葉松を特製の冷凍庫に閉じ込めた≪式2≫を例に出すまでもなく、東の作品は素材の状態にその出来が左右される。植物が生き物である以上たとえ気に入ったとしてもまったく同じ植物を使い続けるわけにはいかず、しかもそれすら時間の経過によって状態が変化せざるをえない。東の作品は〈なまもの〉であり、それゆえに私たちは同じ生き物として作品に向き合う。したがって構成は必要最小限であることが要求される。AMPGと同様、作品のコンセプト、キャプションが英語で書かれ日本語が一切排されていたのも、展示上のノイズを最小限に抑える配慮だろう。漢字・平仮名・片仮名に加えアルファベットが混じりもする日本語は、視覚的に猥雑な印象をもたらしかねない。その雑多さこそ日本語の魅力でもあるのだが、作品と正面から対峙することを求めるのであればそれはやはりノイズでしかないのである。日本語であると文章を読んだだけで作品を理解した気になってしまう恐れももちろんあるだろう。 オープニング・レセプションの行われた3月19日、≪式2≫を囲みその作品から感じる音を東がライブで表現したように[fig.3]、バンドをしていた東の作品は音楽、とりわけロックと親和性が高い。だからだろう、東の作品の大きな特徴として、東が植物にノイズを発生させているということが挙げられる。そう、そもそも作品にノイズがあるがゆえに外部はフラットであることが求められるのである。〈雑音〉と言うと語弊があるが、ここで言うノイズとは種々の〈乱れ〉と捉えて欲しい。それは植物が普段私たちに見せている一面に人為的アクションを加えることで起こる何らかの〈乱れ〉である。ノイズの程度は作品によって異なり、時には結果的に植物の生体を破壊しもする。けれども、エゴイスティックに聞こえるかもしれないが、だからこその緊張感が私の胸を突く。東の作品は永遠に保存される類いのものではない。生きることと死ぬことは作品を通して同一線上に並び、展覧会と作品は一時的なものであるがゆえにその感覚を反芻させる。始まりもなければ終わりもなく、時間とともに流れ続ける東の作品の本質がここにある。 |
最終更新 2010年 6月 12日 |