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風景ルルル~わたしのソトガワとのかかわり方~ 展
レビュー
執筆: 平田 剛志   
公開日: 2009年 1月 22日

fig. 2 柳澤顕《無題》2006年|© Akira YANAGIZAWA /

fig. 1 高木紗恵子《WILD LIFE / BULL'S - EYE》2008年|個人蔵|© Saeko TAKAGI

    正月の箱根駅伝(東京箱根間往復大学駅伝競走)のテレビ中継に「風景」を見てしまうことがある。ランナーが走る街並みを見て、「この街は知ってる」とか、「この通りにこんな店があるんだ」「この景色はきれいだな」などと、風景を発見してしまうのだ。その時、私が見ているのはランナーの動きではなく、流れ去る風景だ。 そこで「風景を見る」とは、どのような行為なのだろうか。私がマラソン中継から恣意的に見てしまう行為も「風景を見る」ことなのだろうか。そのような風景を見る行為・主体をテーマとした展覧会が東京のソトガワで開催された。それが、静岡県立美術館で開催された<風景ルルル~わたしのソトガワとのかかわり方~>(2008年11月3日-12月21日)である。

    この展覧会は内海聖史、小西真奈、佐々木加奈子、鈴木理策、高木紗恵子、照屋勇賢、ブライアン・アルフレッド、柳澤顕ら8名の絵画、写真、映像、アニメーション、立体作品を紹介するものである。今展の出品作家の作品に見られる「風景」は、「断片的で、どことなく軽く、ゆるい。あるいは、ささやかである。可変的で、流動的である」※1という。どのような意味なのか簡単に作品を見ていこう。

fig. 3 鈴木理策《海と山のあいだ》2008年|画像提供:静岡県立美術館|© Risaku SUZUKI / Courtesy of Gallery Koyanagi

    鮮やかな色彩にエナメルや水晶のテクスチャーが異質な心象風景を形作る高木紗恵子の絵画[fig. 1]、コンピュータで描かれた無機質な線が展示空間へと侵食する柳澤顕[fig. 2] の絵画は流動的な風景を見せる。

    熊野を撮影地とした鈴木理策の『海と山のあいだ』(2005-08)[fig. 3] は、中心点を喪失した風景の断片的なショットの集まりで構成されている。

    内海聖史の絵画はタイトル通り「十方視野」[fig. 4] な風景が目前に現れ、1点1点の作品は独立していながら、異なる展示も可能な可変性も内包する「風景」である。鈴木と内海の展示からは、断片的、可変的な風景から、見る者の中で新たな風景が形作られるだろう。

fig. 5 照屋勇賢《Dessert Project (paradigm shift)》2006年 Cooperation: EAT & ART TARO, Yuta Ohba|画像提供:静岡県立美術館|© Yuken TERUYA

fig. 4 内海聖史《四位置》藝術倉庫、2008年 Photographed by Hideto Nagatuka|Courtesy of Rontgenwerke AG and the artist|画像提供:静岡県立美術館|© Satoshi UCHIUMI

    身近なファーストフード店の紙袋から木を切り出したり、デザートによって過去の天地創造説を「創造」する照屋勇賢[fig. 5] 、国連ビルやハリケーン・カトリーナの災害の光景など政治的、社会的なまなざしを誘発する風景をフラットに描き出すブライアン・アルフレッドの絵画[fig. 6] 、アニメーションには、社会的、政治的問題を回避し、ささやかな日常風景へと変換しようとする意志が見える。

    圧倒的な風景の中にパーソナルな物語を潜ませる佐々木加奈子の写真、映像作品[fig. 7] 。実際の風景を元に人物の存在・行為が、非日常的な風景に飲み込まれる小西真奈の絵画[fig. 8] には圧倒的なスケールを持った風景がありながら、軽い。ここでは、土地の持つ歴史も風土も消去され、画面内にもうひとつの風景が見えてくる。

    これら作品全体に共通しているのは、地名や対象がわかるものであれ、わからないものであれ、どれも風景に対して距離があるということだ。感情的、内的な思い入れがあるかはわからないが、作品からはそのような「熱」も感じられないし、「地名」があってもすぐそれとわかる表れ方をしていない。そう、これらの風景からは、風景を客観的、客体視している様が感じられないだろうか。マラソン中継で流れ去る風景を見てしまう時のように。

fig. 7 佐々木加奈子《As a leaf》2004年|Courtesy of the artist and MA2Gallery|画像提供:静岡県立美術館|© Kanako SASAKI

fig. 6 ブライアン・アルフレッド《ATS in IGY》2008年|Courtesy of the artist and SCAI THE BATHHOUSE|画像提供:静岡県立美術館|© Brian Alfred

    今展は、場所はどうあれ、ささやかな風景の集まりかもしれない。だが、風景から距離をおくほど、見えてくるソトガワの風景があることを今展の作品たちは見せてくれるだろう。流れ去るマラソンのテレビ中継に写る風景のように、流動的、断片的でとらえどころのない風景たち。その時、そこに「風景」を見てしまう私たちは、風景を作り直しているのかもしれない。過ぎ行く日常の中、一瞬留めた風景を見つめ、生きることで、わたしたちのソトガワである風景は完成されるだろう。

脚注
※1
川谷承子「「風景ルルル~わたしのソトガワとのかかわり方~」距離や地理を越えたコミュニティーを求めて」『風景ルルル~わたしのソトガワとのかかわり方~』カタログ、静岡県立美術館、2008年、p.31

参照展覧会

fig. 8 小西真奈《山のひと》2007年 Photographed by Keizo Kioku|Courtesy of ARATANIURANO and the artist|画像提供:静岡県立美術館|© Mana Konishi


展覧会名: 風景ルルル~わたしのソトガワとのかかわり方~
会期: 2009年11月3日~2009年12月21日
会場: 静岡県立美術館

最終更新 2010年 7月 06日
 

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