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千田 哲也 個展
レビュー
執筆: 小金沢 智   
公開日: 2009年 1月 04日

fig. 2 《移民》アクリル・カンヴァス、53×45.5cm © Tetsuya CHIDA

fig. 1 《DET》アクリル・カンヴァス、53×45.5cm © Tetsuya CHIDA

    ピンクを基調にした抽象画を思わせる筆致を背景に、ブルマに体操服を着た女の子二人と、同じく下半身はブルマだが上半身は肌もあらわにブラジャーのようなトップスを着た女の子一人が描かれている。しかし不思議なことに、彼女たちの顔はいわゆる顔として描かれていない。中央の女の子はさながら一昔前の巨大なパソコン・ディスプレイのようなものが顔のあるべき部分を陣取っているし、向かって右の椅子に座り気怠そうに片膝を抱えている女の子の顔はスターウォーズのクローンを思わせる。左の角材らしきものを右手にかざしている女の子の顔に至ってはその重々しい鉛色が鉄鋼を想起させるが、ではそれが具体的に何かと問われると答えられない。けれどもそれが通常人にあるべきものではないことは即座にわかる。

    ギャラリー入り口に上記の絵(《DET》[fig. 1])が使われた看板が設置してあり、わたしはその作者である千田哲也という人を何も知らないまま会場に入った。路上から地下にあるギャラリーに降りていき、まず右手に展示されていたのは《移民》というF10号の作品である。暗い色調の画面は荒野と空に二分割され、その中央に描かれているのは黒いワンピースを着た、またも顔が普通ではないもので覆われた女性だ。先に見た作品で顔に描かれていたのは無機的な印象をもたらすものだったが、今回は暖色を中心とした色調の問題だろうか、有機物さながらの艶かしさが認められているという点で雰囲気が大きく異なっていた。

fig. 3 《火の国の女》アクリル・カンヴァス、193.9×130.3cm © Tetsuya CHIDA

    おそらくこの作品から人が最も想起し易いのは、フランシス・ベーコン(1909年〜1992年)の一連の作品だろう。千田の《移民》[fig. 2] だけを見れば、ベーコンの描く所々歪み、激しく変形させられた顔の影響を見ることは難しくない。けれども千田の他の作品を見ていくと、ベーコンとの決定的な違いにも気づいていく。ベーコンはいくら顔をデフォルメしていようとも、その絵画には一貫して顔が描かれていた。しかし、千田の絵画も顔が起点になっていることは間違いないものの、結果として出来上がっているものは顔ではないのである。わたしはそれを「仮面」と呼びたいと思う。今回展示されていた14点のうちで最大のF120号の作品、《火の国の女》[fig. 3] を見て欲しい。グリーンの画面いっぱいに描かれた着流しの女性の顔は変形されたそれではなく、陶磁で作られたかのような褐色の面にほかならない。中央の丸い窪みは目のようで、その下が顎だろうか、きつく歯を噛み締めているかのように見える。あるいは《She calls papa.》[fig. 4] の女性が被っているのは、《DET》の女の子に通じる近未来的仮面である。

    加えて会場を見渡して興味深かったのは、千田がこうした作品のモチーフのほとんどを女性から取っていることである。がっしりとした体つきでライダースジャケットをまとった一目で男性とわかる《輪廻》[fig. 5] を除き、仮面が認められる作品に描かれているのは基本的に女性である。なぜ女性か?その意図するところを端的に表しているのが《ROPE》[fig. 6] である。

ワンピースにジャケットを羽織りいかにも流行に敏感そうな女性が被っている仮面には、本来の顔の数倍はあろうかという大きさに加え所々刺のようなものが突き出し、その左右には車輪までもが付いている。注目したいのはその足に赤い紐が結ばれており、総勢12人の男性のほとんどが必死の形相でその紐を引っ張っているにも関わらず、女性は微動だにせず正面を向いているという点である。男性は皆同じ姿形をしているから同一人物とも考えられるが、男性一般を表したものとも言えるかもしれない。ここから《ROPE》だけではなく今回展示されていた千田の作品に表現されているものが、男性の視点から見た女性という存在の不確かさと考えることができるのではないか。そしてそれがあくまで男性的で一方的な視点であることも認めつつ言えば、千田はファッションあるいはグラビア雑誌から抜き出たかのような女性をモチーフにその頭を異形の仮面に挿げ替えることで、女性に向けた風刺を描こうとしているとは言えないか。

fig. 5 《輪廻》アクリル・カンヴァス、53×45.5cm © Tetsuya CHIDA

fig. 4 《She calls papa.》(パパに電話)アクリル・カンヴァス、53×45.5cm © Tetsuya CHIDA

    たとえば先に紹介した《She calls papa.》が血縁上の父ではなく金銭を伴った関係の「パパ」に電話をかけている光景であることはタイトルからも一目瞭然であるし、タイトルがなくてもその仮面は女性の得体の知れない雰囲気を醸し出すのに十分な効果を持っている。あるいは《wharf rat》[fig. 7] のグラビアアイドルを思わせるポーズの水着の女性は、笑顔を浮かべながらもその周囲は暗く、その膝から下をとても綺麗とは言い難い水で浸している。これら男性から見た女性というテーマは、なるほどフェミニストにとっては排撃の対象かもしれない。《ROPE》や《She calls papa.》、《wharf rat》は女性を商品として見ているとう批判があってしかるべき作品だろう。けれども千田の作品に見られる男性は、必ずしも女性を自身の欲望の対象として見るという前近代的なマッチョなものではない。そこに表されているのはむしろ女性の強さ、したたかさであり、自らをも含めた昨今の男性一般の情けなさではないだろうか。だから千田と同じく1982年生まれのわたしは、その作品の持つ同時代性に強く共感するのかもしれない。しかしもちろん、その風刺性だけが千田の持ち味なのではない。絵画を成立させるものは何よりもまずテクニックであり、それこそが、たとえ荒唐無稽に思われようとも作家のイメージをカンヴァスに定着させるものにほかならないからである。千田にはそれが備わっていることは作品から明らかなのである。なお千田は映像作品も制作しており、絵画と映像がどのように結びつくのか、あるいは結びつかないのかも楽しみなところだ。ただ最後に、今回千田は全14点中モノクロームのペン画を3点出品していたが、アクリルによる上記の作品と比べると印象が薄かったことを付記しておきたい。

fig. 7 《wharf rat》(ドブネズミみたいに美しくなりたい)アクリル・カンヴァス、53×45.5cm © Tetsuya CHIDA

fig. 6 《ROPE》アクリル・カンヴァス、130.3×130.3cm © Tetsuya CHIDA

参照展覧会

展覧会名: 千田哲也 個展
会期: 2008年12月15日~2008年12月20日
会場: GALLERY b.TOKYO

最終更新 2015年 10月 27日
 

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