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建築の埋葬、鎮魂、復活、昇天
特集
執筆: 瀧口 美香   
公開日: 2009年 9月 20日
埋葬:安藤忠雄、ニューヨークのグラウンド・ゼロ・プロジェクト

fig. 2 安藤忠雄、ニューヨークのグラウンド・ゼロ・プロジェクト、断面図|著者作成(2009年)

fig. 3 東京アートミュージアム『街が生まれる---仙川』プラザ・ギャラリー、2005年|画像提供:東京アートミュージアム

fig. 4 東京アートミュージアム『街が生まれる---仙川』プラザ・ギャラリー|2005年|撮影:田村彰英|画像提供: 東京アートミュージアム

    高層ビルに囲まれた、円周200メートル、高さ30メートルのゆるやかな盛り上がり。地中に大きな球が埋め込まれ、その上部がわずかに地面の上に頭を出しているように見える。埋め込まれた球は地球と相似形なので、大きな地球の中に、小さな地球が埋葬されているかのようだ。地球のための巨大墳墓である[fig. 1 参照画像: http://architecture.blogcu.com/tadao+ando/]。*1

    ふだん平らな地面の上を歩いているとき、わたしは自分のいる場所が実は球の形であるということをすっかり忘れている。しかし、地面に埋め込まれた球の盛り上がりは、そのことを目に見える形で思い出させてくれる。

    断面図[fig. 2]を見ると、地面の上にわずかに頭を出すゆるやかな弧は、大きな円の一部であり、円は輪、輪は和を連想させる。平和の和、調和の和。つまり、地球はもともと和(輪)の形であったのだ。地面の中に埋め込まれた地球の相似形は、地球が球であること、すなわち地球が和の形であることを見るものに伝えている。

鎮魂:安藤忠雄、仙川のプロジェクト

    伊藤家の所有する土地が、都市計画道路を整備するために、分断されることになった。もともと細長い敷地であったが、それを斜めに横切る大きな道路が作られたために、残された土地は、変形の三角や車一台分ほどの断片になってしまった。その、残されたつぎはぎの土地をどのようにしたらいいのか、というところからこのプロジェクトは始まっている。

    道路をまたいで、もとあった土地の形をなぞり、それを再生するようなかたちで、安藤は5棟+2棟(計画中)の建物を建設した。断片的な土地の形に合わせて作られた建物の平面図は、整った長方形や正方形では決してなく、壁面や屋根も一部斜めに傾いている[fig. 4]。が、その斜めのラインをつなげていくことで、もともとの土地の形が、道路によるさえぎりの向こうに浮かび上がる[fig. 3]。

    つまり安藤は、ぶつ切りにされて、もとの姿をとどめない土地の、そのつぶやきに耳を傾け、分断されてしまった土地が、どういう形を取り戻したがっているのか、ということを聞き取り、建物によってそれに形を与えた。

    表面上どれだけ分断されようとも、土地には記憶が残っている。かつてここにはこんなふうに建物があって、人が行き来して、風の通り道はこんなふうであったと(たとえ人がそれを忘れてしまっても)土地はそれを記憶している。土地はそこに住まう人が立ち去った後も、そこにとどまり続けるからだ。

    しかしながら、その土地も近代化の波に抗うことはできない。区画が整理され、道路が整備され、物流はスムーズになって経済効率が上がる。便利さを追求するために、土地は切り刻まれる。

    それに対して土地は分断された後もなお、以前のことをとてもよく覚えていて、今や自分の姿はこんなふうに引き裂かれてしまったが、かつてはこうではなかったのだと、声にならない声で語っている。安藤はその声を聴き、そう、それならあなた(土地)がもとあった形を建物によって再生しよう、建物という形で土地の声を代弁させよう、と考えたのだろう。それは、いわば土地への鎮魂のようなものだ。安藤がやっていることは、レクイエムの作曲と同じような作業だったかもしれない。道を一本隔てた通りは、駅前商店街でうるさいほどににぎわっている。それに比べて安藤ストリートは静かである。人通りがあっても静かなのは、土地の気持ちが鎮められているからか。

    土地が何を願っているか、などお構いなく(そもそも土地がそんな思いを有していることにさえ、わたしたちは気づかないでいるのだ)、人間の都合で区画を整理し、建物を建てる。土地はその建物の下で押し黙るほかない。(だから、時にがまんの限界がきて、爆発するのだろう、地震という形で。)

    しかし、安藤はとことん聞く、土地がどういう形であることを望んでいるのか。それは、建築家がどういう形をデザインしたいのかという、自分を表現する場としての建築ではなく、土地がどういう形を望んでいるかを形にするという作業である。

    安藤ストリートの5棟+2棟(計画中)が、長方形というよりは台形やとがった三角に近い平面で、建物の輪郭に斜めのラインが多用されているのは、格好がいいからそういうラインにしたというよりは、そのラインが、土地が取り戻したいと願っている形に沿うものだからだ。 土地の気持ちを無視して建物を建ててきた多くの建築家は、土地の恨みを買うだろう。しかし安藤は、土地の魂を鎮め、土地の感謝を受けるだろう。

復活:丹下健三、東京聖マリアカテドラル

fig. 5 東京カテドラル聖マリア大聖堂 岡塚章子他編『建築の記憶---写真と建築の近現代』東京都歴史文化財団|東京都庭園美術館|2008年

fig. 6 東京カテドラル聖マリア大聖堂 岡塚章子他編『建築の記憶---写真と建築の近現代』東京都歴史文化財団|東京都庭園美術館|2008年fig. 5 東京カテドラル聖マリア大聖堂 岡塚章子他編『建築の記憶---写真と建築の近現代』東京都歴史文化財団|東京都庭園美術館|2008年

fig. 7 東京カテドラル聖マリア大聖堂 岡塚章子他編『建築の記憶---写真と建築の近現代』東京都歴史文化財団|東京都庭園美術館|2008年

    コンサートを聴くために、何度かこの場所を訪れたことがあるが、聖堂全体の外観[fig. 5]や平面図は、意識して見たことがなかった。今回模型を見て、平面図が伝統的なキリスト教の聖堂と同じ、十字架の形であることを初めて知った[fig. 6]。

    十字架の横木と、縦木の下半分を覆う屋根は、先端に向かってわずかに上向きに伸びている。一方、十字架の縦木の上半分は、先端に向かって、高く頭を持ち上げている。そのため、横から見ると、あたかも大の字になって横たわる人が、上半身を起こした状態であるかのように見える[fig. 7]。

    キリストは十字架にはりつけられた。息を引き取った後、十字架から降ろされ、遺体は墓に埋葬された。キリストは三日後に甦り、神のもとへと昇天していく。聖堂の平面図は十字架型で、いわば十字架が地面に降ろされたところをなぞっている。さらに十字架の縦木上半分が高く頭を持ち上げているために、はりつけられて亡くなったはずのキリストが、むっくりと頭を持ち上げて起き上がる姿が想起される。一見奇妙に思われる聖堂の形は、キリストの復活を建物の形に置き換えたものだったのだ。

昇天:ディーナー・アンド・ディーナー、ノヴァルティス本社屋 バーゼル

    本来建物はゆらがずに建ち、中にいる者たちを守るものであるはずなのに、ノヴァルティス本社屋は、それを視覚的に伝えることをやめてしまった [fig. 8 参照画像: http://www.flickr.com/photos/riwayat/457050748/]。

    三層のガラスの皮膜で覆われている。そのために、建物の輪郭があいまいに見える。近視の人が眼鏡なしで風景を眺めるときのように、輪郭がぼやけて色が溶け出す。蜃気楼のような、にじんだ水彩絵の具のような。建物の巨大な塊が、色とりどりの小さなドットに分解されて、目の中で混じり合っていく。印象派建築、あるいは点描建築と言えばいいのか。

    スーラの点描は砂絵のように、吹けば飛び散ってしまいそうなはかなさである。ここでは、どう考えても吹っ飛びそうにない、どっしりと建ち、ゆらぐことのない建物に、ガラス板のファサードが、それと似たようなはかなげな外観を与えている。雨でも降ろうものなら、水に溶けてしまいそうに見える。

    中で働く者たちの間には、強烈な個性と主張を打ち出す色の濃い人も、まるで目立たない透明に近い人もいるだろう。しかしここでは、反発し合う人(色)たちが、真正面から衝突し合うよりはむしろ、さまざまに異なる複数の色が響き合い、重なり合う。ちょうど、ガラスのファサードでさまざまな色のガラスが、何層にも重なり合い、混じりあうように。

    ファサードの色がにじみ、ぼやけ、溶け出していく。すると建物は、輪郭を失い、量塊を失っていく。やがて重力を失った建物が、ふわりと地面から浮かび上がるような気がした。どっしりとした外観を放棄することで建築が手にいれたのは、本来建築に備わっているはずのない力、すなわち浮力、あるいは重力からの解放であったのだ。

    建築家は土地の嘆きを聴き、それを埋葬し、鎮魂を建築の形にした。埋葬のみならず、復活そして昇天もまた、建築という形で表わしうるということを、これらの作品は語っている。


図版出典

fig. 1, 2: 仲條佐登美他編『安藤忠雄展2003再生---環境と建築』デルファイ研究所、2003年。
fig. 3, 4: 東京アートミュージアム『街が生まれる---仙川』プラザ・ギャラリー、2005年。
fig. 5, 6, 7: 岡塚章子他編『建築の記憶---写真と建築の近現代』東京都歴史文化財団 東京都庭園美術館、2008年。
fig. 8: 野村しのぶ編『都市へ仕掛ける建築 ディーナー&ディーナーの試み ハンドブック』東京オペラシティアートギャラリー、2009年。

参照展覧会
  • 東京ステーション・ギャラリー、安藤忠雄展2003再生---環境と建築 2003年4月5日~5月25日
  • 東京アートミュージアム、街が生まれる---仙川 2007年6月30日~2008年9月28日
  • 東京都庭園美術館、建築の記憶---写真と建築の近現代 2008年1月26日~3月31日
  • 東京オペラシティアートギャラリー、都市へ仕掛ける建築 ディーナー&ディーナーの試み 2009年1月17日〜3月22日
脚注
※1
fig. 1については、現在掲載許可を求める交渉中です。許可が下り次第、ここにも画像を掲載いたしますが、差し当たりリンク先の画像をご覧ください。
最終更新 2010年 7月 12日
 

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