AMPGという体験 |
特集 |
執筆: 小金沢 智 |
公開日: 2008年 9月 23日 |
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そこはかつて印刷工場だった。ギャラリーとして改装されるにあたり、内部のほぼ全面はいくぶん灰色を含んだ白色の塗料で塗られ、展示室前に取り付けたシャッターには錆加工がほどこされた。一方、内壁に散見するぽかんと空いた穴は改装によるものではない。それはここが印刷所だったとき、なにかしらの理由で破損したものである。新たな所有者はそれらを修繕することを望まなかった。そうして展示室は、水場だけではなく便器までもが取り残された。 AMPGは清澄白河と呼ばれる下町の只中に位置している。よく知られているように清澄白河は、東側木場公園方向に進むと東京都現代美術館が、西側清澄庭園を越えると小山登美夫ギャラリーやシューゴアーツなどのコンテンポラリー・ギャラリーが入った一棟のビルがある。2005年11月にそれら八軒ものギャラリーが一挙に移転・オープンしてからというもの、清澄白河は都内有数の現代美術の発信地としてその名を知らしめてきた。2008年7月には舟越桂や篠塚聖哉を取り扱い作家に擁するANDO GALLERYもオープンしている。 「ある会社の人が、ビルを丸々一棟借りるから、一番上のスペースをあなたに提供するから好きに使っていいよ、ということから始まったんですよ。清澄白河は僕もはじめてで、来たことがなかった。それが結局立ち消えになったんですよ、会社の事情で。だけどなんとなく心に火がついているし、昔から自分で作品を発表できる場をすごく欲しかったっていうのもある。ドイツでの個展も決まっていましたから、どっちみち作品は作らなければならない。だったら先に作りながら見せていくっていう、ストーリーを作っても面白いかなと思った。せっかく清澄白河で、その話は切れたんだけれども、近所の不動産屋に行って、いい場所ないかっていうことを聞いて、ここを紹介された」※1しかし、清澄白河は昨今大きなマンションが建ってきてもいるが、それでも古い家が軒を連ねる下町である。東がそれまで発表してきたニューヨークやパリ、銀座という場所を考えると、なぜここにしたのだろう、と疑問もわく。これについて東は次のように言っている。 「下町独特の雰囲気が、自分の中の根源的な部分とつながった。純粋に自分を表現できる場所だと思った」※2 あくまでプライベートな発表の場、というスタンス。そもそも作品を売ることを目的としたギャラリーではないから、収益のための戦略を練る必要はなかった。重要なのは、その土地や物件が自分に合うかどうか。そして、そこでどういったギャラリーを作り上げることができるのか。だからオープンに際して大々的な告知をすることもせず、観客は友人・知人やジャーナリストが中心だったという。1年半が経った今は、雑誌等で取り上げられ、あるいは口コミで評判が伝わり、一月平均約500人が見に訪れる※3。ドイツでの個展「Makoto Azuma: Botanical Sculpture」(NRW Forum、2008年7月5日~8月3日)は一月の会期で6000人入ったというからその規模の差に驚くが、これは文化に対する国民性にそのままつながっている。ここで追求するには広範すぎる問題だが、デュッセルドルフの町中に展覧会のポスターが貼られ、現地の新聞がきわめて大きく展覧会を取り上げたという事実を、ここでは記しておきたい。 3 ここで、なぜ東が自らギャラリーを作ることにしたのか説明が必要だろう。いくら定期的な発表の機会を求めていたとしても、個人でギャラリーを運営するということは経済的にも体力的にも大変な苦労が伴う行為ではあるまいか。 ワタリウム美術館で開催された「ファブリス・イベール たねを育てる」展に展示されていた《エム・アイ・ティ・マン》(2008年)を、その難しさを図らずも示してしまった作例として挙げておこう。それは、頭はカリフラワー、目鼻はパプリカ、腰はバナナと、各部分に効果的だとされる野菜によって全身が作られた人形である。つまり、きわめてポジティブな意思によって作られた作品にほかならないのだが、会期終了間際に見たそれは、ところどころ腐り、変色し、臭い、虫がわいているという惨憺たるものだった。それは、東がAMPGで発表した花の廃材を利用した作品、《Damned Ikebana》(2007年5月)[fig. 1] のように、生命が死に、朽ちていくさまを積極的に採用したものではない。ファブリス・イベールがそのような状況を求めていないことは明らかなのである。 「話も聞いてくれない。言って話しただけで、もう無理無理。うちはそういうのだめだから」※4 AMPG設立前、東はある美術館に個展企画を持ち込み、そう一蹴されたこともある。結局東にとって初めての個展は、2005年11月、ニューヨークのTribeca Issey Miyakeで行われた。その後AMPGでも展開することになる松を用いた「式」のシリーズは、アメリカで最初に発表されたのだった。 4 ここで、AMPGは花/植物を用いて美術館でできないことをしているから素晴らしい、という転倒を引き起こしてはならない。東の作品は、表現としての魅力がほとんどないにも関わらず美術や美術館に対する批評性ゆえに奉られているような二流のコンセプチュアル・アートでもなければ、奇抜さゆえに評価されたかつての前衛でもない。東の作品を担保しているものは花/植物に対する愚直なまでの愛情と尊敬にほかならず、そのまなざしは、それをどうすればそれ以上に生かすことができるのか、ということに日常的に注がれている。だからこそ、オートクチュールの花屋「JARDINS des FLEURS」やAMPGだけに留まらない旺盛な活動が展開できるのである。※5 「ものごとを生み出すという事は/常にもがきながらも未来に手を伸ばし/形の見えない何かを掴む事から始まる/(中略)/花に関して言えば/花自身も想像していなかった姿を/引き出し曝すことが/一歩先の未来を掴むという事だと思っている」※6あるいはかつてこうも言っていた。 「もともと自然に生きている花を切り取って飾るということ自体、 “死”や“破壊”を意味するものでしょう?ただキレイとかカワイイという表面的な部分だけで、僕は創作したくないんです。(中略) “壊す”と言うことを常に意識して作品を創るということは、僕にとってとても大切なこと。それがあるからこそ、花に対する愛着も、命の大切さも、より深く湧いてくる。 生半可な気持ちじゃ壊せない。壊すからには、きちんと新たな生を見いだしてやらなくてはという、責任感みたいなものがありますね」※7花人・中川幸夫へのオマージュとして制作された《Rip a go go (for Yukio Nakagawa)》(2008年6月)[fig. 3]。東は自身の畑で栽培した2000株のチューリップを、摘み、醗酵させ、アクリルケースに閉じ込めた。時の経過とともに、形は崩れ、水分は染み出し、静かにそれぞれが溶け合っていく。中川が1976年、同じくチューリップを用いて発表した作品が《闡》(ひらく)なら、こちらは「閉じる」だと東は言う※8。それだけではない。入り口を入ってまずわたしの目に飛び込んできたのは、血流のごとくモニター内を激しく往還するチューリップの群れだった。そう、それはまさに「群れ」という言葉がふさわしい、動的な花の姿である。 AMPGでのこれまでの展示を概観して驚くのは、すべて東一人によるものであるにも関わらず、その印象がまったく一様でないことだ。展示室内を真っ赤にしてその中で毎日花を活けたかと思えば(《狂った赤の向こう側》、2007年7月[fig. 4])、その翌月には魚が泳ぐ水槽の中に花を活けもする《Fish and Flower》(2007年8月)[fig. 5]。《Rip a go go (for Yukio Nakagawa)》の前月は、東の夢にときおり登場するという植物に体を覆われた人間(?)、《LEAF MAN》(2008年5月)[fig. 6] だった。自らが作り上げたイメージを壊すことにも躊躇せず、《式4》(2008年9月)[fig. 7] で松をはめ込んだのは、かつての冷凍庫や水槽というイメージを覆す、真空パックという規則。松にかかる負荷は大きく、ビニールの中にぎゅっと閉じ込められた松は時の経過とともにその青みを失っていった。しかし、それゆえに強調された松の姿態の美しさに眼を奪われた。 東が取材時、『花人中川幸夫の写真・ガラス・書-いのちのかたち』(求龍堂、2007年)をめくりながら、こう話していたことを思い出す。 「やっぱり僕がすごいなぁと思うところが、これ多分見る人が見たら本当によく伝わってくるんですけど、《魔の山》とか《花坊主》とか、ものすごい花を大切にしているのが伝わってくるんですよ。こうやって腐るのをずっと待ってて、もう臭いもくさいのに、すごいでもその腐った花を大事に扱ってるんだろうなぁとか。それが伝わってくるのがすごい、僕としてはこの中川幸夫の一番の恐ろしさというか。やっぱり、ただ単に自分のあるがままの姿でやってるんじゃなくて、ちゃんと一つ一つその花のことを理解し、花を追求して、一番花の近いところっていうか、ちゃんと距離感保っていて、それできちんと表現しているっていうのが、すごいなぁと思うんですよ。そこはすごい、本当に尊敬できるところかな。(《白鳥・歌の・わかれ》を指して)こういう実なんか普通取ってないですよ、捨てちゃう。だからこれ大事に取ってたんだろうなと思うと、あのおっさんがね(笑)。あのおっさんが四畳半の狭いところで取ってたんだろうなと思うと、胸がきゅんとするというか。ステンレスの上に置いて取ってみたんだろうな。すごい理解ができる」※9 「誰もやっていないことをやる」という表層的な制作態度ではなく、その存在を見つめた先に沸きあがる、これをどうにか表現したいという渇望に近い欲求。中川がそうであるように、東も花/植物に対して誠実なのである。 5 そして、この誠実さは作品だけではなく、AMPG全体を貫いている。毎回制作されているブックレット『AMPP』(AZUMA MAKOTO PRIVATE PAPER)はその最たるものだろう。これは東の「植物という残らない作品の代わりに、やってきたことを表現するものを作りたい」※10という構想の下に生まれたものだが、通常のブックレットに期待されている記録性を大きく逸脱した刺激的な造作になっている。 日本だけではなく世界的な兆候なのだろうが、近年、高まる環境への関心から、多くの企業がこぞって「エコ」という言葉を用いて広告を打ち出している。言うまでもなく地球は人類だけで成り立っているわけではないから、環境に眼を向けること自体は悪いことではない。だが、本来の意図を逸脱して大量生産されるエコ・バッグに端的にあらわれているように、それもまた商売の方便と感じざるをえない。経済活動そのものを否定はしないが、あまりに即物的な現象を垣間見る思いがする。環境すらも、人は貨幣に換算してしまうのである。
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最終更新 2017年 1月 16日 |