五味良徳:revelation |
展覧会 |
執筆: カロンズネット編集 |
公開日: 2010年 10月 18日 |
古代中国の禅の公案にある話。禅師である趙州和尚は、「達磨大師が西方より来た意図は何か?」という弟子の問いに、 ただ「庭にある柏の樹だ」と答えた。困った弟子が「例え話で、はぐらかすのはやめてください」というと、 「私は例え話などしていない」と返し、あらためて弟子が同じ問いを繰り返すと、再び「庭にある柏の樹だ」と答えたという。 このくだりには眼からウロコが落ちた。 よく、作家は観客から「この作品の意図は何ですか?」と聞かれる。作家によって考え方はさまざまであろうが、 一般的には、作品の意図は「この作品を観て、何がしかの感動体験を得てもらうこと」となるであろう。 そして、その感動体験は「これこれこういうもの」というふうに言語化しても意味はないものなのだから、 意図とはとどのつまり「目の前にある作品です、なので作品を観てください」ということになる。 そうなると、そのとき作家がいう「目の前にある作品だ」という答えは、さきの趙州和尚の「庭にある柏の樹だ」 という答えと、質的に相似ているのがわかるだろう。作品の意図に関するやりとりは、まさに禅問答である。 作品を観るということは、じつは作品に対して「納得できる答えが期待できないような問いを、あえて問い続けること」 なのではないか。 わかりやすい答えが最初からご親切に用意されているような作品は、そもそも“作品”の名には値しないのかもしれない。 五味良徳 ※全文提供: Nroom artspace 会期: 2010年10月16日(土)-2010年10月21日(土) |
最終更新 2010年 10月 16日 |