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死なないための葬送-荒川修作初期作品展
レビュー
執筆: 平田 剛志   
公開日: 2010年 7月 06日

fig. 1 《抗生物質と子音にはさまれたアインシュタイン》
1958-59年|セメント、綿、ナイロン、着彩、ポリエステル布、木綿、木ほか|166.0 x 107.7 x 21.0 cm|国立国際美術館蔵
©Shusaku Arakawa|photo:福永一夫|無断転載禁止

fig. 2 「死なないための葬送-荒川修作初期作品展」展示風景
画像提供:国立国際美術館

fig. 3 「死なないための葬送-荒川修作初期作品展」展示風景
画像提供:国立国際美術館

     人間に避けられず起こる天命=死を否定し、常識に捉われないスケールで思想を展開し、実践し続けた荒川修作が2010年5月19日に逝去した。その早すぎる死は残念でならないが、荒川の初期作品を集めた展覧会「死なないための葬送-荒川修作初期作品展」(2010年4月17日~6月27日、国立国際美術館)を見ることで「死なない」荒川の存在/不在についてあらためて考える機会としたい。

     本展タイトルの「初期作品」とは、荒川の日本での発表作品を意味する。荒川は1961年12月28日に単身渡米し、以後ニューヨークを拠点として活動をする。それ以前の日本での活動歴は1957年の「第9回読売アンデパンダン展」(東京都美術館)への出品から始まり、1960年の村松画廊での初個展「もうひとつの墓場」、翌1961年に夢土画廊で開催された2度目の個展を含めて4年間ほどである。本展の出品作品は村松画廊と夢土画廊での2回の個展で発表された通称《棺桶》シリーズと呼ばれる作品20点を全国の美術館から一同に集めて実現した展覧会である。
     では、50年の時を経て再び一同に集められた荒川の「初期作品」とはどのような作品なのか。展示室に並ぶのは棺桶を思わせる黒い木の箱である。箱の中には光沢をもつ紫や紺、銀色の布が敷かれ、グロテスクな形状をしたセメントの塊が納められている。遺体を思わせる「物質」の表面は爛れ、傷つけられたような荒れた肌を持ち、所々に突起や綿などさまざまなものが混合されている。それは、「既存の芸術と日本の芸術状況を葬り、荒川の新たな芸術実験への出発を象徴していたかのよう」※1 だった。そう、これらの作品は新たな芸術実験のために捧げられた既存の芸術形式に対するレクイエム(葬送曲)だったのかもしれない。
     1997年、荒川は日本人として初めてニューヨークのグッゲンハイム美術館で「We have decided not to die」(私たちは死なないことに決めた)と題する個展を開催したが、「死なないことに決めた」荒川自身の死はその「思想」を崩壊させてしまうだろうか。死に抗い、強靭な思想と実践を展開し続け、生命にとっての宿命(天命)を全うした荒川。結局、荒川は実現不可能なことばかりを述べてきただけなのだろうか。だが、ここで荒川の提唱してきた「天命反転」とは何だったのかを今一度確認しよう。

「「天命(Destiny)」とは「死すべき(mortal)」定め、つまりすべての人間、いやすべての生物は死から逃れられないという「宿命」のことだから、それを「反転(reverse)」させるとは、「死なない(not to die)」という、ありえないはずの選択肢を探究することを意味している。」※2

     ならば、私たちは「ありえない選択肢」として「天命」を「反転」してみよう。つまり、本展を荒川の初期作品を回顧する展覧会であると同時に、むしろ「最新作」として見ることを提案したい。それは、展覧会を「回顧」「初期作品」といった過去へのベクトルで見るのではなく、荒川がこれまで提唱してきた「天命反転」に倣い、展覧会の見方を「反転」すべきなのだ。それが、2010年に荒川修作の初期作品を見ることの意味なのではないだろうか(荒川の言葉を使えば「意味のメカニズム(The Mechanism of Meaning)」としてのエクササイズだろうか)。ここに、荒川の経歴は「反転」する。「初期作品」は若き荒川の過去の作品ではなく、現在形の作品(後期作品)として見られることになるだろう。本展は初期作品であると同時に最新作であり、最後の展覧会であると同時に「初個展」である。私たちは荒川修作を再び「発見」する。

脚注
※1
平芳幸浩「荒川修作の初期作品について」『死なないための葬送:荒川修作初期作品展』図録、国立国際美術館、2010年、p.10
※2
塚原史『荒川修作の軌跡と奇跡』NTT出版、2009年、p.20
最終更新 2010年 7月 11日
 

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