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飯川雄大:グッドス トリートランプ
展覧会
執筆: 記事中参照   
公開日: 2010年 7月 02日

画像提供:児玉画廊

飯川はこれまで時間と感覚について実験的な映像作品を制作、発表してきました。例えば、今回も発表される「時の演習用時計」というプロジェクトは、人々が生活の準拠としている時間、即ち秒、分、時で1日を細分化する時計による時間を放棄して、24時間にまとめた一つの映像を1日を表す1単位とするものです。そもそも、人は生活の中で時計を見て時間を知るのと同時に、眠気や空腹など感覚的にも時間を捉えています。それは非常に曖昧な事で、時計が狂えばそれに気付かないことも往々にしてあります。そして人はなかなかそのことに注意を向けようとはしません。飯川にとってこの時間と人との関係が大きな関心事となっています。この作品は、時間を分割するための時計ではなく、不断に流れるものとして見せる時計です。したがってそれを見ることによって一日のある特定の一瞬を知る、という事は出来ません。このことは映像としては至極当たり前の事ですが、それをあえて時計と呼称することはつまり、画面の中の微々たる変化を24時間積み重ねていくことで、従来の時計とは異なる尺度で示す時計である、ということに他なりません。その尺度とは、映像に移る物や人、朝夕で異なる景色の移ろいなど、一瞬として同じではあり得ないすべての事象が複合的に積み重なって、やがて1日を終えていく様子一つ一つの全てです。24時間の映像として大きな一つの単位であると同時に、例えば一枚の葉が風に揺らめく1コマでさえもまた別の一単位となり、そうした無限の、無規格の単位が同一に流れる集合体として1日という時間を示しているのです。

展覧会タイトルにもなっている「グッドストリートランプ」はその新作として発表されます。一本の街灯にフォーカスした定点撮影を24時間続けて、その近辺で時とともに起こる変化をそのまま時計として見せる作品です。そこに写るのは人知れず起きている何でもない事であり、街灯の明かりが照らし出すものと照らし出されるもの、レンズに映る限りの空間内全ての事象、現象、関係性、偶然も必然も何もかもがひとつなぎに連関しているように見えてきます。ただ24時間のスパンを持った映像、というだけではなく、時計の針が示す以外の時間の姿を露にするためのものです。 今回の個展では、「グッドストリートランプ」の他、「デコレータークラブ」、「ベリーヘビー」の3つのプロジェクトによる構成となります。

「デコレータークラブ」は人が見過ごすに違いない風景を次々と写真で撮りためていく進行型のプロジェクトです。特別な対象を写している訳ではなく、たまに変な物が写っていてつい気になってしまう、そういった写真をある特定の地域で撮影してはWEB上にアーカイブしたり簡易にプリントして壁面に羅列していくプロジェクトです。今回は現在撮影中の新シリーズの写真を展示しますが、会期中徐々に増えていきます。しかし、主張しない写真がさりげなく増えていくため、見過ごされていくのかもしれませんが、「グッドストリートランプ」然り、さりげないものの僅かな変化の記録が積み重なるようにして総体を成していく飯川の作品の本質に近い作品であるとも言えます。

「ベリーヘビー」は、以前発表した「時間泥棒」プロジェクトの発展で、端的に言えばこれらはドッキリの映像です。「時間泥棒」は例えばサッカー、ボクシングなど、試合時間があらかじめ決まった時間内で行われるスポーツ競技で、特定のプレーヤーにだけ内緒で規定の時間を半分に短縮して真剣に試合をします。騙されている本人は意外にもそうと気付くことはなく、人の時間感覚がいかに曖昧なものかを露呈させました。そして「ベリーヘビー」は実際には軽い鞄を重たく見せる演技で人の目を欺く様子、それに気付いた時の人の反応、あるいはこっそり人の鞄に重りを入れておいたのにそれに気付かない持ち主の様子など、時間とは少し違う感覚遊びを映像として見せる事で、実は時間の感覚も所詮はそれと同じ程度に不確かなもの、という遠回しの言及も込められた作品です。人が時間を如何に認識しているのか、盲目的に信じられている人と時間の関係性を簡単な事例を示す事でむしろその根底を揺るがせるような飯川雄大の2年ぶりの新作個展となります。

※全文提供: 児玉画廊

最終更新 2010年 7月 03日
 

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