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菅野まり子:パソスケープ 病める光
展覧会
執筆: 記事中参照   
公開日: 2010年 6月 28日

画像提供: コバヤシ画廊|Copyright © Mariko Sugano

漆黒を背景にしてキャンバス上で繰り広げられる寓意に満ちたモティーフが印象的な菅野まり子展。

展覧会名の「pathoscape(パソスケープ)」は作家の造語で、英和辞書によると「patho-」は、≪病気≫を表す接頭辞で、よく知られたギリシア語の≪パトス(情念)≫に由来し、「-scape」は、≪・・・景≫を表しています。

「病」と「情」が分かち難く同じ光源となって照らし出す、いくつかの景色。
会場内に新作数点と小品を展示予定です。

作家コメント
「地球は皮膚をもっている。そしてその皮膚はさまざまな病気を持っている。その病気のひとつが、例えば人間である。」
ニーチェ『ツァラツストラかく語りき』第二部「大いなる事件」より

人類の祖先が二足歩行を選んだときから腰痛は宿命づけられたと言われるが、美術史家アビ・ヴァールブルクは『蛇儀礼』講演の中で、階段という道具、「登る」という行為について、忘れ難い一遍のアフォリズムであるかのような、次の一行を残している---「空を見上げるということこそ、人間にとっての恩寵であり、また呪いでもあるのです。」

おそらく、無理に立ち上がって掴みどころの無い頭上に何かを名づけたときから、不明瞭なもの、判別し難きものに対する人間の名づけ癖が始まった。身体の不調は、野に住む獣にとって、じっと耐え忍ぶ時間に過ぎないが、人はそれを「病」と呼び、原因を探り克服しようと工夫を凝らす。

立ち上がったとき以来、空に翳された両の手は、常に不分明な領域をまさぐってきただろう。虚空にひらめくその二片は、道具を使い、知恵を生み、感情を表現し、文化を築き、健康や富に恵まれたより良き生を目指し、それらに充たされぬところに対して(時には強引に)施療を施してきた。だが言うまでもなく、その行程は途上にあり、苦悩と可能性は常に未来へ託されてきた。

そもそも、ウィルス感染後の高熱は、自身の身体が外敵と闘っているからだという。発熱や歯痛という症状は、「余所者」の侵入を知らしめる徴 (サイン)である。つまり、不調や痛みといった症状は、個体を存続せしめようという強力な想念のようなものから発せられるのかもしれない。≪なぜ「私」は存続したいのか?≫その正答がやがて見出されるのかどうか分らないが、人が経験しうる歓喜や苦悶の内に、答え無き問いかけが存在する。それは、人類というコロニーが共に空を仰ぎ見てしまって以来、長らく抱える症状であり、不治の病の一つに由来するような気がする。

地球上で太古より迸る生命は、閉じられた門から跳ね駒のように飛び出して以来、おのれの行方も知らず、開放感と焦燥のうちに永らく迷走しているのだろうか。その掻痒の最たるものが、ひとつの星を蝕んでいるのだろうか。

菅野まり子/Mariko SUGANO
1967 東京生まれ
1991 多摩美術大学大学院美術研究科修士課程修了
2001-2002文化庁派遣芸術家在外研修として在独
2003 インゼル・ホンブロイッヒ(ノイス)およびアトリエ・ヘーアーヴェーク(デュッセルドルフ)滞在
助成:花王芸術・科学財団/野村国際文化財団

個展
1993 ギャラリーアリエス, 東京
1998 コバヤシ画廊, 東京[99,03.04.06.07.09]
1999 コバヤシ画廊, 東京
2001ギャラリーゴトウ, 東京/alternative art space 改善, 湯島
2002 KAP, デュッセルドルフ
2008 チャイギャラリー, ヘイリ 韓国

グループ展
2000「メッセージ 2000」コバヤシ画廊, 東京 [毎年出品]
2003「FIH September 2003」 FIH & Insel Hombroich Raketenstation, ノイス/
2004「アバヴ・ザ・ブック」ギャラリーアートスペース, 東京/
2007「DOMANI・明日」 安田火災東郷記念美術館,東京/「VOCA2007 - 新しい平面の作家たち」上野の森美術館,東京/「ヘイリ日本芸術祭」ヘイリ、韓国

パブリックコレクション
町田市立国際版画美術館, 東京/ハワイ州立文化財団, ハワイ, アメリカ

※全文提供: コバヤシ画廊

最終更新 2010年 7月 05日
 

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