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志村信裕:うかべ
編集部ノート
執筆: 桝田 倫広   
公開日: 2009年 11月 17日
16:00、辺りが薄暗くなった頃、志村の映像作品は、スクリーンではなく横浜美術館の壁面に、天井に、階段の踊り場に浮かび上がる。水の波紋のようなものや、星のようなドット、揺らぐカーテンのような抽象的な映像にもかかわらず、人々をその映像世界に沈潜させる不思議な力がある。特に圧巻は、美術情報センターというライブラリースペースへと向かうための階段の踊り場、その湾曲した壁面に投影された作品ではないだろうか。階段を上り近づきながら眺め、踊り場で対峙し、階段を登りきりある程度の距離をとって作品と向き合う。湾曲した壁面を持つ踊り場という場所性を強く喚起させる作品でありながら、踊り場のところでその作品に抱かれた時、何の変哲もない踊り場が別世界へと姿を変える。 展覧会名の「うかべ」とは映像を浮かべることと、場所を意味する「辺(べ)」を掛けた言葉であるそうだが、それは「浮世」(うきよ)にも通じるだろう。「浮世」とはかりそめの世界、しかしそれは紛れもない「現実」の世界を指す言葉だ。彼の作品は、まさしくかりそめで移ろいやすい幻影(映像)でありながらも、幻影の強固な現実性を持つ。また同時に美術館の壁面という「現実」をも指向する。映像を介したコミュニケーションを指向する「ヨコハマ国際映像祭」が、それでもやはりスクリーンやモニターを多用し、「見る-見られる」という関係性を構築せざるをえないのに比べて、彼の作品は軽やかに観者と場所との間にコミュニケーションを形成することに成功しているように思える。 ちなみに黄金町エリアマネジメントセンターにも彼の作品が道端に落ちている。こちらも日没後から現れる。映像祭と合わせて見てもらいたい。 最後に徳川将軍家のコレクションをメインに据えた「大・開港展」(横浜美術館内にて開催)では太平の眠り、すなわち「浮世」から日本を覚ませた黒船来航によって揺籃する幕末から明治への変遷を、芸術や工芸作品から垣間見ることができ、こちらも興味深い。

16:00、辺りが薄暗くなった頃、志村の映像作品は、スクリーンではなく横浜美術館の壁面に、天井に、階段の踊り場に浮かび上がる。水の波紋のようなものや、星のようなドット、揺らぐカーテンのような抽象的な映像にもかかわらず、人々をその映像世界に沈潜させる不思議な力がある。特に圧巻は、美術情報センターというライブラリースペースへと向かうための階段の踊り場、その湾曲した壁面に投影された作品ではないだろうか。階段を上り近づきながら眺め、踊り場で対峙し、階段を登りきりある程度の距離をとって作品と向き合う。湾曲した壁面を持つ踊り場という場所性を強く喚起させる作品でありながら、踊り場のところでその作品に抱かれた時、何の変哲もない踊り場が別世界へと姿を変える。 展覧会名の「うかべ」とは映像を浮かべることと、場所を意味する「辺(べ)」を掛けた言葉であるそうだが、それは「浮世」(うきよ)にも通じるだろう。「浮世」とはかりそめの世界、しかしそれは紛れもない「現実」の世界を指す言葉だ。彼の作品は、まさしくかりそめで移ろいやすい幻影(映像)でありながらも、幻影の強固な現実性を持つ。また同時に美術館の壁面という「現実」をも指向する。映像を介したコミュニケーションを指向する「ヨコハマ国際映像祭」が、それでもやはりスクリーンやモニターを多用し、「見る-見られる」という関係性を構築せざるをえないのに比べて、彼の作品は軽やかに観者と場所との間にコミュニケーションを形成することに成功しているように思える。 ちなみに黄金町エリアマネジメントセンターにも彼の作品が道端に落ちている。こちらも日没後から現れる。映像祭と合わせて見てもらいたい。 最後に徳川将軍家のコレクションをメインに据えた「大・開港展」(横浜美術館内にて開催)では太平の眠り、すなわち「浮世」から日本を覚ませた黒船来航によって揺籃する幕末から明治への変遷を、芸術や工芸作品から垣間見ることができ、こちらも興味深い。

最終更新 2011年 10月 31日
 

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