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鷹野隆大:それでも、ワールドカップ
展覧会
執筆: カロンズネット編集   
公開日: 2010年 3月 16日

《バイーア/ブラジル》 1992 年|タイプC プリント ©鷹野隆大/Takano, Ryudai Courtesy: Yumiko Chiba Associates/Zeit-Foto Salon

ステートメント
サッカーのワールドカップが目前である。
この時期、国中が色めき立ってもよさそうなものだが、いまひとつ静かである。
サッカー人気の低下に加え、日本代表の惨敗も懸念される中、このまま注目を集めずに終わるような気がしてならない。
そこで、ささやかながら、勝手に応援企画をやらせていただくことにする。

好むと好まざるとに関わらず、いまやサッカーは世界の共通語である。
これほど大規模に、異なった身体やモラルを持った人々が同じ土俵にのぼる場は他にない。
野球ファンには申し訳ないのだが、そして僕もかつては野球少年だったから分かるのだが、規模がまるで違うのだ。
世界を旅して、キャッチボールで交流できる地域がどれくらいあるだろうか。
結局、野球を日常的にやっているのは、アメリカとその周辺国という小さな世界にすぎない。
僕は、自分のそういう悔しい体験から、サッカーを見始めた。

以来、十五年以上がたつ。その間、さまざまなことを思い知らされた。
最も衝撃だったのは、「ずる賢さ」が賞賛されることだ。
蹴られてもいないのに、もんどりうって痛がる。思いきり蹴り飛ばしておきながら、やってないと主張する。
試合そのものとは別に、人間臭い駆け引きが絶えず繰り返される。
それはアジアやアフリカの市場で繰り広げられる光景と似ている。彼の地では物の価格はひとつではなく、交渉によっていくらにでも変化する。
こういう価値観は野球にはない。
野球では、あいまいなものが入り込まないように、ひとり一人の役割などを詳細にルールで定めている。一物一価の世界である。
選手に求められるのはルールに従う「潔さ」だ。それは内輪の論理とも言えるだろう。

日本ではいまだに野球が圧倒的人気を保っている。
つまるところ、文化的にも体力的にも野球の方が体質に合っているのだろうが、それでも、ワールドカップの時くらい、アメリカの傘の下から出て、外の世界を覗いて見てもいいのではなかろうか。
そこには価値観の多様さがもたらす混沌とした世界がある。何が正しいかは交渉によって決まる。当然、皆ずる賢い。
なかなか恐ろしい世界だが、それが「世界標準」であることもまた事実だ。
日本という国が今、かなり追いつめられていることを思う時、サッカーについて知っておくのは、あながち無駄とは思えない。
我々もいつ、そういうカオスの世界に投げ出されるかわからないのだから。

さて、この展覧会では、外国で撮った写真を万国旗のように紐に吊るして展示する予定である。
サッカーともワールドカップとも関係ないじゃないかという非難を受けそうだが、知の多様性をもたらす書店という場を、僕の写真がさらにリアルなものにしてくれるのを願っている。
-2010年3月 鷹野 隆大

鷹野 隆大(タカノ リュウダイ)写真家
1963年福井市生まれ。1987年早稲田大学 政治経済学部卒。2006年第31回木村伊兵衛写真賞受賞。セクシュアリティをテーマにした作品に加え、最近は都市にも興味を向けている。 <主な個展>
2000 「ヨコたわるラフ」 ツァイト・フォト・サロン、東京
2006 「イン・マイ・ルーム」 ナディッフ、東京、「男の乗り方」 ツァイト・フォト・サロン、東京
2008 「ぱらぱら」 ツァイト・フォト・サロン、東京
2009 「おれと」 ナディッフ、東京、「男の乗り方」 GALLERY at lammfromm、東京、花街びと」 ギャラリーエム、愛知
2010 「イキガー」 ギャラリーラファイエット、沖縄 <パブリック・コレクション>東京都写真美術館、国際交流基金、川崎市市民ミュージアム、上海美術館、太宰府天満宮 <作品集>『IN MY ROOM』 蒼穹舎 2005年、『鷹野隆大 1993-1996』 蒼穹舎 2006年、『ぱらぱら まりあ/としひさ』 Akio Nagasawa Publishing 2009年、『ぱらぱら ソフトクリーム/歯磨き』 Akio Nagasawa Publishing 2009年、『男の乗り方』 Akio Nagasawa Publishing 2009年 ■ オープニングレセプション:2010年5月3日(月) ※全文提供: ユミコチバアソシエイツ

最終更新 2010年 5月 03日
 

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