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北野謙:溶游する都市
展覧会
執筆: カロンズネット編集   
公開日: 2010年 3月 09日

《渋谷》 画像提供:MEM copy right(c) Ken KITANO

写真家・北野謙による『溶游する都市』(東京の路上をスローシャッターで撮影した1990年代の白黒写真のランドスケープ)の展覧会を、写真集の出版にあわせて東京で開催する。 出展作品『溶游する都市』について
90年代に東京の路上をスローシャッターで撮影した白黒写真のシリーズ『溶游する都市』は、後の代表作『our face』や『one day』の原点とも言えるシリーズで、2009年11月にはこのシリーズの写真集を刊行いたしました。 『溶游する都市』が撮影された90年代の日本は、バブル崩壊、阪神淡路大震災、地下鉄サリン事件など未曾有の体験を経た時代でした。当時20代の北野は、自己と世界、自己と他者の存在をとらえる視座を模索しながら、三脚を立てスローシャッターによる撮影で目の前の光景をとらえようとしました。写真集『溶游する都市』の巻末のテキスト’存在する者として‘のなかで、このような手法について「僕の中から自然に生まれた写真感覚であった」と語っています。

『溶游する都市』のシリーズを撮り始めたのは1989年である。日本はバブル経済の末期。
混沌というよりすべてが希薄だった。僕は19歳だった。
あの頃、端的に言って窒息しそうだった。
(写真集『溶游する都市/Flow and Fusion』掲載文章より抜粋)

印画紙に定着した像は、動く人間の輪郭が失われて溶けあい、都市生活において人々がまるで水や煙のように游ぎ漂う様を映しだしています。新宿、渋谷、下北沢、高田の馬場、横浜など、都市の定点で撮影された多様なイメージを目にしたとき、北野は、分子レベルで世界を捉えるようにたった一粒の粒子となった個人の像を、北野自身も含めた人間の存在そのものであるように思えたといいます。

その時、自分の中に世界はあるというリアリティと、世界の中に自分が存在しているリアリティは完全にひとつであった。世界を見る眼差しは、内部から外を見ることと同時に外部から内を見る眼差しでなければならない。それはまぎれもなく写真が僕に与えてくれた最初の奇蹟だった。以来、僕は「世界を違いや強弱で見ること」にまったく興味を持たなくなった。「在ること」だけで充分だ。物心ついて初めて世界が見えた気がした。そして世界は、美しかった。
(同上)

北野謙 Ken Kitano
1968年 東京都生まれ。1991年日本大学生産工学部数理工学科卒業。主な展覧会:1993年 個展『溶游する都市』(I.C.A.C.ウェストンギャラリー/東京)、2006年個展『our face』(フォト・ギャラリー・インターナショナル/東京)、2009年 個展『one day』(MEM/大阪) 。グループ展  1996~1998年 / 2002~2004年 『ヤングポートフォリオ』展(清里フォトアートミュージアム)、1997年『サンマリノインターナショナルフォトミーティング』(イタリア)、2000年 『HUMAN SCAPE』(清里フォトアートミュージアム)、2004年 二人展『第16回写真の会展』(楢橋朝子氏と二人展 PLACE M/東京)、2006年『写真の現在3—臨界をめぐる6つの試論』(東京国立近代美術館)、2007年 二人展『タナトスそしてエロス』(安楽寺えみ氏と二人展ギャラリー・エプサイト/東京)、2008年『現代写真の母型シリーズ:写真ゲーム』展(川崎市市民ミュージアム)など。受賞歴:2004年写真の会賞、2007年 日本写真協会新人賞。 ※全文提供: MEM

最終更新 2010年 3月 05日
 

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