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生誕120年 小野竹喬展
展覧会
執筆: カロンズネット編集   
公開日: 2010年 2月 12日

《奥の細道句抄絵 田一枚植ゑて立ち去る柳かな》1976年 京都国立近代美術館蔵

小野竹喬(おの ちっきょう 1889-1979)は、1918(大正7)年に京都で設立された国画創作協会のメンバーの一人として、日本画の新しい表現を模索したことで知られます。他方、後年には、温雅な色彩と簡潔なかたちを特徴とする画風を打ち立て、「風景の中にある香りのようなもの」(画家のことば)を画面にとらえようと、さりげない自然の表情に眼を向け続けました。 本展覧会は竹喬の生誕120年を記念し、初公開作品11点を含む本制作119点とスケッチ52点により、およそ75年にわたる創作活動を回顧するものです。本展では“色”に重きをおく作画へと転じた1939(昭和14)年頃を大きな転換期とみなし、それを境に竹喬の作品を2章に分けて紹介します。また、各章にそれぞれ「竹喬の渡欧」、「奥の細道句抄絵」と題した特集展示を設け、竹喬の生涯と作品に迫ります。 作家紹介
1889年 11月20日、現在の岡山県笠岡市に生れる。
1903年 京都に出て竹内栖鳳に入門。
1909年 京都市立絵画専門学校が設立され、別科に入学。
1916年 文展で特選受賞。
1918年 土田麦僊、野長瀬晩花、村上華岳、榊原紫峰と国画創作協会を設立。
1921年 黒田重太郎、土田麦僊、野長瀬晩花とともに渡欧。翌年帰国。
1928年 国画創作協会展解散。翌年、帝展に復帰。
1947年 京都市立美術専門学校の教授となる。
1950年 京都市立美術専門学校が京都市立美術大学にかわり、53年まで教授をつとめる。
1958年 社団法人日展の常務理事となる。
1968年 文化功労者の表彰を受ける。
1969年 京都市美術館で「小野竹喬回顧展」開催。
1976年 朝日新聞社主催「小野竹喬 奥の細道句抄絵展」開催。11月、文化勲章受章。
1979年 5月10日、逝去。  ※全文提供: 東京国立近代美術館

最終更新 2010年 3月 02日
 

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