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森裕子:キラル。アキラル。
展覧会
執筆: 記事中参照   
公開日: 2009年 11月 03日

≪シンクロニシティ≫画像提供:Ohshima Fine Art copy right(c) Yuko MORI

作品について
“女の子らしい作風”と評されることがある。しかしそれは森裕子の創作の単なる一部にすぎない。 描いてあるものをよく見てみると、かさなり、離れ、反転し、浮いたり、逆さまになったり、それでいて遠近感が無く・・・正に夢の中そのものである。 夢の世界では、現実世界の色々な制約は存在しない。 森はその自由な夢の様な何かを、わざわざ四角いキャンバスという限定した平面で表現することに拘る。 彼女の作品と対面した時、見る者の思考も試されることとなる。“二次元の中で自由に飛び立てるのか-”を。 キャンバス中に流れ落ちる絵の具は、想像力や希望や日々の想いなどが溢れ出しているかのようで、隅々まで過剰に、とことん優しく、そして幸せ感に満ちている。 それは森自身の心の中を覗き見たようで、生々しく、少しエロチックでもあるといえよう。

展覧会について
日常では、キラル/アキラルなるものが同居して千差万別であるが、通常そのことは意識されない。しかし森の表現する世界の中では、物同士が鏡像のように 映し合い、対称性を持ち、かさなり、離れー混じり合いながら出現する。 それはまるで、重ねられない「現実」と「夢の中の自分」、「鏡像にもなりえない今日」と「明日の自分自身」の対比であり、その事実に対する“とまどい”と“許容”が入り混じりながら作品の中に現されているようである。 森は作品タイトルとして音楽記号をよく使う。音楽記号はひとつの短い記号・言葉で深く、多くの意味を表せるようになっており、同時に曖昧な感覚や技術を伝達する為の “コミュニケーションツール”として長い年月をかけて人類により完成させられた背景を持つ。 森も描く行為で“コミュニケート”をしている。ただし森のそれは、他者との対話や鑑賞者へのクエスチョンと同時に、純粋な自問自答でもある。 繊細なのか強靭なのか、束の間の夢なのか、それとも永遠の安寧なのか-相反する自分自身の心の内側を曝け出し、無意識の世界や漠とした違和感、絶望・希望をどこまでも暖かく、前向きに表現している。そして、作品の中の彼女の意図、メッセージに共感した瞬間、我々は甘い幸福に包まれるのだ。

※全文提供: Ohshima Fine Art

最終更新 2009年 11月 21日
 

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