荒木経惟:遺作 空2 |
展覧会 |
執筆: カロンズネット編集 |
公開日: 2009年 11月 02日 |
本展は、新潮社より発行されます同タイトルの作品集刊行出版記念イベントの一環としておこなわれます。
荒木は今年の1月2日から白黒写真のキャンバスに向かい、「書」「ペイント」「コラージュ」などの手法を用いて、1日の“コト”また“死を想った時”の気持ちを日記の様に描いています。 本作品集のために膨大な数の作品を手掛けた荒木は、個展のためにさらに制作を重ね、写真集には収められていない新作約150点を完成させました。本展においては作品集のほかに、アラキネマの上映も予定しており、多いに盛り上がることでしょう。 「死を予感した写真家の遺言」として発表する荒木経惟の新作を、どうぞご高覧下さい。 ※全文提供: タカイシイギャラリー |
最終更新 2009年 12月 19日 |
「遺作」や「絶筆」という言葉には特別な響きが籠められている。作品が生涯最後のものであれば、作家の到達を見せるものとしてきわめて興味をそそられる。だが、もとより「遺作」や「絶筆」とは作家本人がそういうものとして狙って制作したものではあるまい。だから必ずしもその作家のすべてが籠められているとはかぎらない。不謹慎なことを言えば、その面白さもあるのだが。 では、生きているにもかかわらず自ら「遺作」であると宣言した場合はどうか。その分鑑賞者からの期待は増すだろうから賢明な判断とは言い難いが、それをやってのけてしまうのが写真家・荒木経惟である。個展「遺作 空2」は、二〇〇八年に前立腺癌に冒され、死を意識したアラーキーの写真展だ。会場には空を写した白黒の写真に、色鮮やかなペインティング、新聞や写真のコラージュ、豪快な書がしたためられたものが壁一面に展示されている。写真がそもそも時間と空間を切り取るものであるならば、そこには「死」が必ず内在している。荒木がこれまで撮り続け、数百冊の写真集を出している事を考えれば、改めて「死」を意識していると言われるのも不思議な気がするが、今回の個展にあらわれていたのは死というよりはそこから噴出する生であり性への強い意識のように思われた。