モネ それからの100年 |
レビュー |
執筆: 記事中参照 |
公開日: 2018年 8月 24日 |
現代アートの中に、生き続ける印象派モネモネ それからの100年 横浜美術館 2018年7月14日(土)~9月24日(月・祝) 1918年にモネが《睡蓮》大装飾画の国家寄贈を提案してから100年目にあたる。印象派のモネは日本では一般的に人気があって、夏休みは特に混雑している展覧会だ。しかし、これはモネだけに焦点を置いた展覧会ではない。 “Monet’s Legacy” 「モネからの遺産」をどのように近現代の芸術家が受け継いできたかを鑑賞できる展覧会なのだ。「現代作家の立場」からモネが追及していた光、大気、水、反射、ゆらぎを再発見した作品群に出会うことができる場なのである。そして私たち「鑑賞者の立場」から「モネの視点に出会う」ことができる貴重な空間なのだ。 「モネ」を強調しているフライヤーやポスターを見て横浜美術館に集まる人が多い。けれども、展示されているモネの作品は30点に満たない。主に国内に所蔵されているモネの作品が展示されているのだが、多くの展示作品は1m四方に及ばず、約12mの大作を鑑賞したことがある者にとっては物足りない。モネが晩年に描いた大装飾画《睡蓮》を鑑賞するには、パリのオランジェリー美術館やニューヨークのMoMA(ニューヨーク近代美術館)、そして日本であれば直島の地中美術館まで足を運ぶのがよいだろう。 その一方、モネの作風に影響を受けた国内外の近現代美術家たちの作品は、60点以上鑑賞することができる。だから、それを目的として展覧会を訪れると得るモノが大きい。欧米の作家、デ・クーニング、サム・フランシス、リキテンスタイン、モーリス・ルイス、マーク・ロスコ、ゲルハルト・リヒターなどの作品を見て、モネの作品との共通点を見出すのも楽しい。しかし、やはり注目すべきは日本の現代美術作家の作品群であろう。日本の作家がこの展覧会に向けて新作を数点出展している。今年、2018年に制作された作品もある。それらを見ることによって、日本にいる今の私たちの時代にも変わらず影響を与えているモネの視点や姿勢を確認することができる。かつてジャポニズムに影響を受けたモネ。そのモネから、逆に日本の現代美術作家がどのように影響を受けているのだろうか。この現象を作品の中に見ることは、ヴィジュアルアーツのエンタテイメントになるのだ。 例えば、湯浅克俊 YUASA Katsutoshiの木版画。湯浅の細かい木版の彫りの作業は、浮世絵の版木を彫った彫り師にも通ずるところがある。しかし、彼の版木の使い方や色の出し方は浮世絵の錦絵(木版多色刷り)とは異なる。湯浅はデジタル写真を組み合わせた木版画を制作している。《RGB#1》2017と《RGB#2》2017は一版三色刷りで、三枚の木版画を重ねライトボックスで照らして展示されている。《Quadrichromie》2018は四版四色の多色刷り。光の捉え方はモネの技法と湯浅の技法と共通するところがある。モネはジャポニズム、特に浮世絵、広重や歌麿の版画に影響を受けた。モネが浮世絵の収集家だったことを知ると、モネと湯浅との時間と文化を越えた芸術の相互影響を見つけることができる。デジタル写真を組み合わせたり、ライトボックスを使ったり、バレンで版画を刷ったりする湯浅の手法は、現代のテクノロジーと日本の伝統を受け継ぎつつ、モネの「光」の視点を持った作品づくりをしたということだろう。 芸術家は見て、観察して描いたり表したりすることを追求し、画材や素材、テーマや構図を掘り下げていく。松本陽子 MATSUMOTO Yokoは絵の具を用いて色の揺れを追求している画家だ。彼女の《振動する風景的画面III》1993からはピンクの濃淡が空の雲、人の肌、煙のように表現され、うねりを感じる。《振動する風景的画面》2017もまた深い緑色の濃淡が画面に広がる。モネの《睡蓮》作品の水面のように、空、風、光を感じる松本の作品は、どこからどこへ行くのか定まらない不思議さを画面にたたえている。ただしモネの絵には表面に筆の跡や絵の具のザラザラ感が残るが、松本の絵には皮膚、風、あるいは穏やかな波のような滑らかさを感じる。 次は、テクノロジーを用いてモネと同じ視点から自然をとらえている作家の作品をあげたい。今回、水野勝規 MIZUNO Katsunoriは、映像作品を三点出展したが、筆者が心打たれた作品は《holography》2018、シングルチャンネルビデオ(4K,サイレント/10分)だ。そよ風に揺られた水面に四季折々の場面が幾重にも重なっているビデオ作品だ。鯉が泳ぎ、桜の花びらが落ち、紅葉が水面に浮き、小雨が降り、風が吹き、波模様が変化する。それが、かわるがわる見え隠れ出現する。異なる季節や天候が映し出された透明性のある作品となっている。ノスタルジックで美しい水野の映像作品を見て、モネが1892年から1894年にかけて描いたルーアンの大聖堂の連作を思い出した。そこでモネは夜明け直後から日没までの様々な天候、気候のもとで異なる日の光を浴びる大聖堂の連作を描いたのだ。このようなモネと似た視点で、水野は同じ水面を異なる気候、時の光を表した。しかしモネの油絵の連作のように異なる画面に表したのではない。水野は同じスクリーンに一つの変化する作品として映し出したのだ。100年の歴史の中で新しいテクノロジーが育まれ、現代の作家たちはそれを用いて制作する。しかし自然の光の美しさ、動き、反射、影に感動する心は、100年前と変わらぬ持続可能な人間の特徴なのである。 もう一人、テクノロジーを味方につけた映像作品を制作している作家がいるので紹介したい。それは、鈴木理策 SUZUKI Risakuだ。彼は《水鏡》という題名の写真の作品を三点、そして《The Other Side of the Mirror》というビデオ作品を出展している。筆者が興味を持ったのは、ビデオ作品だ。まず展示法が他の作者の映像作品と異なる。スクリーンが壁にかけてあるのではなく、床に置かれて上向きになっているのだ。だから、私たちが実際に水面をのぞき込む態勢と同じ状態で作品を観ることになる。ただし、床面にあるスクリーンには水面に映るモノだけでなく、頭上に見えたであろう満開の桜の木なども映される。だから見る者に多少の違和感と混乱を与える。水面に映る深い世界、光が織りなす情景の焦点を合わせたり、外したりして映しだす世界は、描き方や手法はことなるもののモネの作品にも通じるところがある。 展覧会会場の最後の部屋に展示されているのが、福田美蘭 FUKUDA Miranの《睡蓮の池》2018と《睡蓮の池 朝》2018である。さまざまな青色と夜景や朝焼けでキラキラしている作品だ。福田の他の作品と同様、イメージが二重、三重にダブった構成になっている。例えば、《睡蓮の池》2018では高層ビルの上部にあるレストランのいくつかのテーブルと、ビル群の情景と窓ガラスに映ったリフレクションが重なっていて、宙に浮いているかのような錯覚に陥る。実際にある都会の景色と睡蓮のある池を同時に連想させるイメージで夢のような世界を描いた作品だ。100年前のモネの時代には二つの異なる場所のイメージを同画面に載せることはしなかったであろう。しかし福田はモネの睡蓮の池と都心のイメージを光、影、色をからめて表現している。 日本の現代美術の中に、モネは生き続けているのだ。 (執筆:柴崎由良)
参考資料 ・モネ それからの100年 展フライヤー、ポスター、目録 ・中野京子著 『印象派で「近代」を読む 光のモネから、ゴッホの闇へ』(NHK出版新書)2015年 ・原田マハ著 『モネのあしあと 私の印象派鑑賞術』(幻冬舎新書)2016年 ・Vivian Russell, MONET’S GARDEN Through the Seasons at Giverny, Stewart Tabori & Chang, New York 1995. 参照展覧会 会期:2018年7月14日(土)~9月24日(月・祝) 会場:横浜美術館(神奈川県横浜市西区みなとみらい3-4-1) 公式サイト:https://monet2018yokohama.jp/ |
最終更新 2018年 8月 25日 |