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いちかわともこ:箱の中の記憶
展覧会
執筆: 記事中参照   
公開日: 2009年 9月 09日

画像提供:gallery neutron copy right(c) Tomoko ICHIKAWA

京都精華大学デザイン学科卒業後、いちかわともこはマイペースに制作活動・作品展示を行ってきた。絵画制作と同時に、絵本の執筆、オリジナル切手の制作、マトリョーシカを用いた小物の作成など幅広く活動している。作品制作において「絵画」という枠にとらわれる事なく、彼女の絵は様々なメディアを使用して展開される。しかしどのようなものであっても「絵を描く」ということは欠かさない。

そんな彼女が文椿ビルヂングギャラリーでの個展を開催してから早くも一年以上の月日が経とうとしている。前回の個展では深い悲しみがキャンバスを覆うように、暗い色合いが広がっていた。どこか儚げな表情をした登場人物がいるかと思えば、涙の雫にしがみつくように悲しみを噛み締めている人物もいる。彼らの感情は荒々しくむき出しにされた怒りにも似た悲壮感ではなく、むしろ自分の悲しみを心の中に受け入れる準備が出来ているのに、まだもう少しだけ…と静かに自分の感情を抱きかかえているかのようである。その個展から一年半の時が過ぎ、彼女の中での気持ちの変化は作品をも変貌させる。

身近な人の死。物理的には永遠の別れを意味するが、精神的にはむしろ始まりなのではないかと思う。その人がいなくなって初めてその人の存在の大きさを知る。毎日なぜかわからぬままに涙が流れ、悲しみにふける日々を過ごす。生前はそんなに毎日毎晩考えるほど、その人を想うこともなかったかも知れない。この悲しみが永遠に続くのではないかと思えるほどに奥底深く広がる悲しみの闇。そんな闇の中でいつもの日常を過ごす。いつもと変わらぬ毎日がかえって悲しさを倍増させる。しかし毎日悲しみに明け暮れる日々が続くわけでもなく、お腹も空くし眠くもなる。仕事だっていつまでも休んでいられない。繰り返される日常の中で、少しずつ薄れていく悲しいという感情。それは想いが風化したのではない。その人の死を受け入れる準備が整ってきたのだろう。

親愛なる人の死を目の前に、彼女はいつもと変わらず絵を描き続ける。誰かの為ではなく自分の為に、、、「絵を描く」ということを通して自分自身を見つめ直しているかのようである。一年前にはできなかったけれども今の彼女にしか描けない、今の彼女だからこそ使える色がある。しかしそれは個人的なものだけではなく、誰にでも共通する感情や感覚を描いたものなのだ。まるで世界平和を願う祈りにも似た世界が広がるのだろう。
(gallery neutron 桑原暢子)

全文提供: gallery neutron

最終更新 2009年 10月 12日
 

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