| EN |

赤瀬川原平氏、死去
News
Written by KALONSNET Editor   
Published: October 27 2014
There are no translations available.

美術家や作家として活躍した赤瀬川原平氏が10月26日午前6時33分に敗血症のため東京都内の病院で死去した。77歳だった。

武蔵野美術学校(現武蔵野美術大学)を中退し、1950年代から読売アンデパンダン展に出品。1963年に、高松次郎氏、中西夏之氏と「ハイレッド・センター」を結成。《首都圏清掃整理促進運動》など前衛的パフォーマンスを多々行う。千円札を印刷した作品で1965年に通貨及証券模造取締法違反の罪に問われ、有罪判決が確定。弁護人として瀧口修造などが立ち、証拠品に美術作品が並び、裁判の中で美術とは何かが問われた「芸術裁判」として今なお伝説的に語り継がれている。

尾辻克彦の名で小説も発表し、短編「父が消えた」で81年に芥川賞を受賞。98年に出版した『老人力』(筑摩書房)はベストセラーとなり話題となった。また、上った先に行き先のない階段など街角の意味不明なものに対して「超芸術トマソン」という概念を作りだし、後に道ばたの建物や看板などを鑑賞する「路上観察学会」を発足。そのほか、カメラのライカを愛する仲間と「ライカ同盟」を作り、写真撮影に勤しむなど、活動は多岐にわたる。

千葉市美術館で開催(後に全国巡回)される「赤瀬川原平の芸術原論 1960年代から現代まで」展を28日(火)に控えていた。

Last Updated on October 28 2014
 

| EN |