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濱野亮一:「 」
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Published: August 21 2014
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untitled 2014, 100 x 80.3cm acrylic on fabric mounted on panel

この度メグミオギタギャラリーでは約3年ぶりとなる濱野亮一新作個展「 」を開催致します。 濱野亮一は2006年より独学で絵画という形式を用いて現代美術に取り組んでいる作家です。

濱野を絵画制作に向かわせる動機の最たるは、コンピューターを代表するテクノロジーの進化に対する賞賛と抵抗であります。1977年生まれの濱野は、急速なテクノロジーの進化により今まで当然のこととして眼前に存在していた「モノ」がその役割を変容させてゆく様を肌で感じながら育ってきました。気がつけばテクノロジーの進歩は人々の行動様式を変化させると共に、不可能をあたかも実現可能であるかの如く現前に差し出すシミュレーションを至る所で生み出し続けている ー 濱野は近代に入り様々な社会学者により提唱されてきた「実存とは何であるか」という問いが、これから更に加速度的に切実な意味を帯びてゆくに違いないことに気がつきます。彼はその答えを、絵画の平面性、すなわち二次元的性質を規定する物質的条件の中に見出そうと、制作を続けています。

2011年の個展「(仮)バラ色の人生」では、現代のポルノ画像をグラフィックアプリケーションをもちいて解体し、絵具を用いた線に置き換え配置することで、西洋絵画や彫刻のヌードを彷彿とさせる高尚なイメージをキャンバス上に再構築しました。
今展では、下地にファブリックを使用した作品を中心に、だまし絵を彷彿とさせる意表を突いた新作を約7点披露します。
ドット柄のファブリックを素材に、ドットの数を増やすことで、メディアによって作られたアイドルという概念の象徴としてのマイケルジャクソンを浮かび上がらせた大作は、作られたイメージを作られたモニター越に消費しているという二重構造のからくりを絵画という物質の上に見事に表現しています。それはテレビやweb、あらゆる情報をモニター越しに需要することに慣れきっている私たちに対する皮肉に満ちた警告ともとれる一方、作り込まれることにより成し得る完成度の高さをも同時にシミュレートしているのです。

19世紀初頭に写真技術が登場して以来、写真は真実を写す道具として捉えられてきました。しかし、メディア技術の著しい発達に伴い、写真についてもデジタル加工が当たり前となった今、モニター越しに映し出される画像、あるいは映像が真実であるという確証を持つ事はもはや不可能に近いといっても過言ではないでしょう。そんな現代において、濱野のだまし絵は、実際に展覧会に足を運び、最も古典的な二次元表現である絵を直接見つめるという行為を通し、そこに秘められたからくりを見破るべく瞳を凝らす鑑賞者に、彼らが今まで忘れていた、あるいは新たな身体感覚を呼び起こします。

濱野の作品は絵画の歴史におけるパラダイム転換を試みるだけには留まらず、これから世界がどこに向かおうとしているのか、現実を現実たらしめるのは一体なんであるのかという、人間の実存を巡る問いに新たな角度から光を差し込むことと同義であるといえるのではないでしょうか。  濱野亮一「 」展、今を呼吸することで生まれる絵画は一体何を更新しようとしているのか、是非ご高覧下さい。


全文提供:Showcase
会期:2014年9月12日(金)~2014年9月27日(土)
時間:11:00 - 19:00
休日:日・月曜、祝日
会場:Showcase
Last Updated on September 12 2014
 

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