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変成態-リアルな現代の物質性:Vol.5 袴田京太朗
展覧会
執筆: 記事中参照   
公開日: 2009年 8月 31日

≪バット-複製≫2009年|バット、アクリル板(写真提供:コバヤシ画廊)|画像提供:gallery αM (C)copyright Koichi WATANABE

「明るいウイルス」天野一夫
袴田京太朗は自らの造形を彫刻であると公言してはばからない。そこで造形は確かに何らかの立ちあがった像を結ぶものの、その印象はこれまでの「彫刻」とは異なるものだ。袴田作品は異なる質の物、全く意想外な出自の物どうしを無理やり接合するような、言ってみれば明るい暴力性を持ってきた。作家はかつてこんな印象深いことを記している。「かたちがないはずの場所にかたちをつくる」「積極的にかたちを見出し難い場所を無理矢理押し広げ、僅かに開いた隙間が閉じてしまわないように取りあえず何か挟んでおくようにして・・・かたちを仮に与えている」なるほど時には記号のようなものが彫刻されていたり、本来的な素材からすれば、突然の強姦のような造形。いや、そのたとえはむしろ「天の岩戸」というべきか。その奇妙な創生的な造形は、現代におけるわれわれの時代のズレ、いびつさを示唆してもいる。その造形は異物としての存在なのだ。近作でも木製の少女像を二つに分断し、横にスライスして、それぞれの欠けた部分を色のアクリル板を積み重ねることで二つの同形の像を二つ作っている。それはたとえを重ねれば、ウイルスとしての彫刻とでも言うべきものだ。根拠の無い場に突然に介入し、増殖するかのようにその形に擬態し、同一形を作る。木彫は多色のアクリル積層の接合のせいで、いわばハレーションを起こし、どちらもがもはやかつての本来的な姿としては見ることができないのだ。そこでは無限に変転する「変成態」に相応しいように、物の素材からの立ち上げをそのままには受け入れない姿勢といえる。今回の新作でも使われるであろう多色のアクリル板は、そのままであれば、ある厚みを持つ平面ではある。その面をサンドペーパーで削りつつ接着することで、”彫刻のようなもの”になるのだ。そこでアクリルの色はあくまで横からの層として見えるものとしてのみ扱われている。プラスチックな人工的素材感による”明るい異物性”はかつての中原浩大のレゴブロックものを想起する。しかしここではレゴという既存の増殖的なブロックではない。今回はその積み重なるアクリル板が面として連なる下で、像は立ち上がるという。たしかに同様に分解可能性はあるものの、そこでは平面と立体は往還関係にあることが重要であろう。その造形は自らの組成を公言しながらも変態する不穏さを維持しているのだ。袴田の近年の作品では、塊りのような像としての見えを持ち、一方でかつての仏像や近代彫刻も想起させるものがあるようにおもわれる。確かにそこには古典的な彫刻像が再利用されているかのようだ。擬態とは言っても、作家は完全なるアプロプリエーションものを作るものではないだろう。一方でアクリルに、他方の足では別の物性に文字通り足を突っ込んだ像はよく作家の位置を象徴してもいるだろう。むしろ古典的なフレームがあるゆえに、いびつさはよく機能する。そこにはやけに明るいウイルスのように異形のものが立ち上がろうとしている。
「つくる」ということについて  袴田京太朗
僕は以前から断続的に作品の素材として既製品を扱っている。花柄の布から始まって、ナベ、机、グラス、木彫りの熊、レモン、タンス、電気コード、バットなどさまざまである。既製品をつかうのは「すでに出来上がったイメージで、こいつが勝手に作品の表面をつくってくれるだろう」という打算と、「すべて台無しにしてしまうかもしれない」という絶望的な不安が入り交じって、のろのろと思うように進まない作品を貫いて、自分の予想や価値観から大きくはみ出した、得体の知れないものへの変貌を望んでいたのであろう。ことばで言ってしまうとやや固い感じになるが、美術作品のなかに当たり前のような顔をして入り込んだ既製品の場違いな軽さには、つくった本人も笑ってしまうことがある。近年よく使っているカラフルなアクリル板も既製品的な側面を持っているだろうし、そう考えればモチーフにしている人や動物や耳なども、そのかたちを直接扱っているという感覚は薄く、すでに作品のモチーフとしてどこかで扱われていたようなかたちを間接的に使用しているという、やはり既製品的な扱い方をしているという感覚がある。既製品は作品の中に入ってくると、当の作者でさえ簡単に手を下せないやっかいなもので、たとえば、いったん手を下し始めれば最終的に机はただの木になり、ナベはただのアルミニウムになって既製品である意味を失ってしまう。そう考えてみると既製品に限らずどんな素材に対してであれ、つくる意志を持った手は素材の安定した状態を壊し、その意味を壊すことから制作が始まっているといってもいい。作者のつくりたいという欲望にまみれた手に触れることで、素材は不純なできそこないになり、なにか別の本物らしいイメージに到達するまで不純なものであり続ける。選択肢は本物らしさに近づく技術を身につけるか、あるいは素材に手を下さないで作品にする方法を考えるか。僕にはそのどちらも積極的に選ぶことができず、結果的にやっていることは、自分の造形的な意志とは別のところからでてきた理由(素材の属性によることもあればまったく関連のない唐突な理由もある)によって、作品が勝手に出来上がっていくようなやりかたを設定し、その中に自分のつくりたい欲望を相殺して組み込んでしまうことである。そのやり方が前述の既製品を素材として選びとる感覚、つまり「打算的で絶望的で、自分の価値観からはみ出した、笑ってしまう感覚」とほとんど同じであることは、おそらく偶然ではない。

袴田京太朗 はかまた・きょうたろう
1963年静岡県生まれ。1987年武蔵野美術大学造形学部彫刻学科卒業。1994~95年、文化庁芸術家在外研修員として滞米。1996~97年第5回五島記念文化賞美術新人賞受賞、チベット、ネパールなどに滞在する。

主な個展に2008年「1000層(公開制作)」(府中市美術館、東京)、2007年「袴田京太朗展」(コバヤシ画廊、東京)他、ギャラリーエム(愛知)、ギャラリー MAKI(東京)など多数。

主なグループ展に、2007年~08「椿会展」(資生堂ギャラリー、東京)、2008年「Outlet 非作品によるブリコラージュ」(銀座芸術研究所、東京)、2006年「THE 4th ART PROGRAM OME 2006 緑化する感性-街道を読む-」(青梅)、2004年「memento mori 袴田京太朗の『奈落の水』と堀部安嗣の『伊豆高原の家』」(法然院講堂、京都)、2003年「越後妻有アートトリエンナーレ2003」(新潟)、2002年「東日本-彫刻 39の造形美」(東京ステーションギャラリー、東京)、2001年「第19回 現代日本彫刻展」(宇部市野外彫刻美術館、山口)2000年「プラスチックの時代-美術とデザイン-」(埼玉県立近代美術館、埼玉)、1988年「アート/生態系—美術表現の『自然』と『制作』」(宇都宮美術館、栃木)「VOCA '98 現代美術の展望-新しい平面の作家 たち(上野の森美術館、東京)など。

全文提供: gallery αM

最終更新 2009年 10月 24日
 

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