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観察された対象の展示:村山誠と望月俊孝二人展
展覧会
執筆: 記事中参照   
公開日: 2009年 8月 31日

画像提供:art project frantic

art project franticは2009年秋のアートシーズンを「芸術と科学の関係性」というテーマを取り上げることから始める。「観察された対象の展示」を展開するにあたっては、植物学と解剖学におけるものの観察/保持/展示の仕方について考える。村山誠と望月俊孝というメディアアーチストたちは物理的対象ではなく、対象を変化させる独特の(科学的な)眼差しを展示し、この眼差しを芸術上に解釈している。 村山誠は「無機植物相(Inorganic flora)」を「開墾」する。

①彼が植物を探し、本物の花を見つける。たとえば、上品なLathyrus odoratus L.。②花弁や子房をメスで解剖し、ルーペで細部を分析する。 ③ 解剖・分析された花の断片・組織のスケッチを行い、写真をとる。④3ds Max (3次元コンピュータグラフィックスソフトウェア)を用いて、花の形態や構造をモデル化する。 ⑤ Adobe Photoshopを用いて、各断片を構成し、CG上で花を再構築する。 ⑥寸法、各組織の名称、縮尺、学名などを、細かく各部位に書きこむ。 ⑦Lathyrus odoratus L.を大判プリンターで出力し、額に入れる・・・ それは「科学の全体的な認識の花」の誕生。つまり、厳しく固定化され、完全に測定され、厳格に名を付けられ、はっきり示された花である。単なる植物のイメージではなく、知性の力の表現であり、自然を観察する精巧な眼差しの表象である。村山の作品の「透明性」とは、「透明な花の容姿」を意味するだけではなく、「透明な(つまり、全体的に見える、完全に把握された)対象として表された世界」という科学の野心的な夢も表す。一見矛盾しているように思われるが、「宇宙を測る」という科学的なチャレンジこそ、村山の作品の「虚構の力」と「ロマンティック香り」の起源になるのである。村山の「花」はBotech Art 、つまりBotanical Art (植物学芸術)とTechnology(テクノロジ)の共存によって生まれた「花」である。

望月俊孝は妄想を棚に並べるというインスタレーションを発表する。まるで果物のように扱われた身体は、ジャムと一緒にビン詰めにされ、棚に並べられる。並べられた対象は、解剖学者や生物学者の次の世代のために保存された研究室の参考物を彷彿とさせる。観客は「博物館化された対象」を見学しながら、液体に入れられた果物の中に、動いている身体の一部が混入していることに気付く。(足、腕、長い髪の毛を持つ頭部が棚の後ろから投影されている。)厳格な観察のため、瓶に詰めたものは生を与える。固定され、明らかに見えていたはずのものは、動きはじめ、把握できない曖昧なものになってしまう。棚は、観察のために保存されたものを見せながら、突然、固定化されない不明確なイメージを導入する。それによって、この棚は不安感を生みだし、妄想を引き起こす。続いて、望月は写真メディアを用いて「保存の実践によって痕のついた身体」をめぐる試みを行う。花の飾りが付いている少女の、ガラス容器に抑えつけられた顔のイメージは、「死感」に支えられた詩を提示している。それは、眠り姫なのか、または美の永遠的な観察のために保存された死体なのか。ガラスの平面によって顔に残された光のスポットは少女の身体に眼差しの印をつける。このスポットは「彼女は見られるためのものである。彼女は観察された対象の展示の一部である。」と伝えている。

キュレーター:ロディオン・トロフィムチェンコ。

全文提供: art project frantic

最終更新 2009年 9月 04日
 

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