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千崎千恵夫:赤い内部を持つ形
展覧会
執筆: カロンズネット編集3   
公開日: 2014年 4月 15日

 

[作家コメント]
以前訪れた事のある、宇治の平等院を思い起こしながら、今その映像を写真と共に頭の中で再現している。それは浄土庭園を前にして中堂を中心に南北両翼廊が広がり、その姿が池に映し出されている映像だ。中堂には阿弥陀如来像が安置されており、夜ともなればその姿は照明に照らされて黄金色に浮かび上がらせるのであろう。だがそうでなくて、満月の夜、月の灯りが水面に反射し映し出される像を想うほうがより本来の姿に合致する。薄闇の中の鳳凰堂は、その像を中心に、左右上下対象をなし、静かにあたかも宙に浮いているようである。この幽玄は、浄土教や密教やその歴史を知らずとも心を動かされるものがある。つまり造形的な空間の奥行きや広がりであり、場の超越である。
私の作品はある時期から、自然と人工の関係を問うという事を背景に考えて構築してきたのだが、その過程を通して、今やイデアやフィシスそれ以前のものの見方に視点が移って来ていると思う。それはものが分離される以前、あちらとこちらの連続性、光と闇の混合、言葉以前、記号以前に感じられる空間のことであると言えるかもしれない。造形を生身の体で行為する中でこれらの思いを表現するには、内側から立ち現われてくるものの抽出を、と言いたいが、それは描かれた形と対置される余白の輝き、作られた像の内部から湧き上がる力、それらを意図的な造形力によって引き出すという事である。今回の作品は、本来光を受けて現れる表面が裏返り、内側に表面を形つくることにより、外からの光を内部に溜める、或いは内側に乱反射し、外側に広がってくるようにイメージして作られた。この内部から発光するイメージを、月光の下、平等院中堂の翼を広げたような屋根の形と、その下の四角く区切られた拝観口の、内側に安置されている光背を背負った阿弥陀如来像の、あたかも自然と人工の中間に位置しているような現れ方と重ねて見ることが可能なら、ここに近代以降の物語性を削り取った今回の作品が持つ、空間の中に立つという感覚を体現できるという言い方も出来るかもしれない。 2014.4 千崎千恵夫


全文提供:gallery 21yo-j
会期:2014年4月10日(木)~2014年4月27日(日)
時間:13:00 - 18:00
休日:月・火・水
会場:gallery 21yo-j
最終更新 2014年 4月 10日
 

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