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《Music for Plants》大友良英の場合―ピーター・コフィン《Untitled (Greenhouse)》での演奏を中心に
レビュー
執筆: 田中 麻帆   
公開日: 2014年 4月 04日

  音楽は誰のために、そして何のためにあるのだろう。当然、これは人によって様々な答えを生む問いであり、明確な意義を即答できるはずもない。音楽を「アート」に置き換えてみても、そこに別の言葉―地名、機関、施設―を当てはめたとしても、また然りである。
  しかし甚大な事故が起きた時、あるいは大規模な利害が絡む時、周囲にいる私たちはこの自明の前提が見えなくなってしまうのかも知れない。筆者は、ミュージシャン大友良英による活動を通して、このことについて考える機会を得た。

  もう2年前の話になるが、その日横浜トリエンナーレに美術を「観に」来ていた筆者の耳に、轟音が響いた。このアートフェスティバルの一環として、インスタレーション作品《Untitled (Greenhouse)》(2002-2011)の中で行われた大友の演奏《Music for Plants》を聴いた時のことである。
  トリエンナーレの期間中、横浜創造都市センター(YCC)のホールに展示されていた美術家ピーター・コフィンの《Untitled (Greenhouse)》は、こじんまりした温室いっぱいに鉢植えの植物を並べ、その中にスピーカーや楽器を置いて音楽を聴かせるインスタレーションである。コフィンは1970年代のレコード『Music for Plants』をきっかけとし、植物の意識および植物の生長と音楽の関係性といった、当時流行のトピックに関心を持った。そのため2002年、友人のミュージシャンに「『植物に聴かせる音楽』を演奏してもらう作品」を考案し1、「よい音楽を聴かせると植物の生長によい影響を及ぼすという仮説」に対するインスタレーションを制作したという2
  会期中6回にわたり、この温室の中で行われた演奏イベントが《Music for Plants》である。Boredoms・EYE(内覧会)、OOIOO、ジム・オルーク、蓮沼執太、テニスコーツらも各回を担当した。大友が演奏した8月20日だけは他の回と異なり、演奏後にトークイベント「大友良英『プロジェクトFUKUSHIMA!』トーク―8月15日のフェスを終えて、今後の長期的な展望を語る」が開催された。両方に参加した筆者にとって、この演奏とトークは相互に強く結びついているように感じられた。以下にはまず、大友による《Music for Plants》の演奏について記述したい。

  様々な音楽活動の中でもノイズミュージックの演奏家として知られる大友は、この日も音響機器を駆使しながらギターを中心に様々な楽器を奏で、即興的な音楽を展開していった。ドラムセットを前に、温室を背にしてその入口付近に座り、エレキギターを構えて演奏を始める。静寂の中、最初はコントラバスの弓を手にし、シンバルのへりに滑らせる。かすれた噪音が響くが、次第にその中からソやシといった音高のくっきりわかる単音が浮かび上がってきた。音が止み、再び静けさが訪れると、今度はアンプから漏れる電子音が際立って聞こえてくる。大友はE-bow(一定の音を持続させるための小さな機材)で弦振動を起こしながら、アンプのノイズにギターのかすかなノイズを重ね合わせる。更にハーモニクス奏法で硬質な高音を際立たせ、ブリッジの弦の部分を強く押したりネックを強引に曲げて音程を落とすことで、変化を付けていく。
――筆者がこうしたジャンルの演奏を生で聴いたのは初めてのことだったため、最初はその斬新さに驚きを覚えた。しかし同時に、普段は雑音としか思っていなかったものや、耳にしても聴こえていなかった音にも個性的な音色や音高があり、音楽の一部を成しているということに気づかされた。
  次に大友はスネア・ドラムの上にU字の金具を載せ、アンプから出るギターの音によって震わせた。ドラムを叩かずとも、金具のかすかな振動が鼓面に伝わり増幅され、大きな共鳴を作り出してゆく。すぐ後ろにある温室の中でも反響が生まれ、ホール全体へと拡がっていくような印象を受けた。
  そして突然、ヘリが降り立ったかのような轟音が起こり、小さなホール全体が振動する。何によって生じていたか詳しく分からないが、温室に反射するアンプの音がマイクに拾われ増幅したフィードバックのためか、暴風に襲われたような感覚だった。YCCは1929年に建てられた歴史的建造物を利用しており、会場は古典主義様式の柱や天井、石タイルの床に囲まれている。このため床や窓すべてに音が反射してびりびりと共鳴し、聴衆の身体にも響き渡るほどだった。攻撃的な音はその後も発展し、大友はギターにファズのエフェクトをかけながら、チョーキング奏法で厳しい歪みの音を投げかける。戦闘機のような、ブラウン管テレビの砂嵐のような、日常生活の中では騒音とみなされそうな音にブーストがかけられ、耳に痛いほど強くなっていく。
――しかしこの時、筆者はこれが《Music for Plants》だということを思い出した。激しい音は人間の耳に不快な場合もあるが、同じ響きを全身に受けている植物にとってはむしろ癒しになるのかも知れない。コフィンの言によれば、本作の中では「メロディアスでリラックスできるような音楽を演奏する人が多い」というが3、だとすれば大友の演奏はかなり独特のものである。「植物のための音楽」とは、本来はどんな風に聞こえるものなのだろう。
  轟音が続き、人の耳には少しきつくなってきた頃、大友はおもむろにピックで和音とメロディを弾き始めた。これまでには想像もつかなかったほど、心地よく安らかな音色である。F-B♭-Cの和音を1音ずつ少しずらしながら弾いたのち、ディレイ気味のスチール・ギターのような音で、南国のリゾートを思わせるメロディを奏でる(AB♭C~DCBA~F~と緩やかに昇降する旋律)。同時にスネア・ドラムの振動音が大きくなって拡がり、湧水のせせらぎのように聞こえてくる。
――この部分からは、水や緑に恵まれた自然風景が連想された。こうした風景は、人間にとってやすらぎとなる植物や自然の姿かもしれない。しかし、大自然ではなく鉢植えの中にいる植物は、このメロディをどのように感じただろうか。
  その後、ギターはC-Fと上昇するようなコード進行を反復し、段々と強さを増す。バス・ドラムによる4ビートのリズムが加わり、ギターとドラムの音が同じ鼓動のもと前進していく印象を覚えた。更に、3:3:2の長さの変拍子でタムが叩かれ歩みが速まるのに伴い、先程のリラックスしたフレーズが混ざってくる。異なる和音やリズムが緊張関係を保ちながらぶつかり合い、大友がカッティング奏法で紡ぐギターの不協和音は、フレットをぐいぐい駆け上がって混沌を増していく。このカオス状態の音の波からは、植物が人間にもたらす癒しではなく、むしろ大自然の荒々しさや驚異が感じられた。
  衝突し反発する響きの渦が一旦おさまり、心拍音のようなギターの刻みが現れると、以降には歪んだフレーズ、澄んだ和音、また歪んだフレーズ…と両者が掛けあうように繰り返される。最後には、ギターの心拍的な刻みが再び訪れ、徐々に速度を落としていく。そして曇った余韻を残しながら、演奏は終わった。
  以上の演奏における、まるで対極的な二つのものを交互に提示し、混合させていくかのような展開に、筆者は人間と植物との関わり方の多様性を連想せずにいられなかった。「植物のための音楽」を聴いて植物は喜んでいるかもしれないし、それは人間が喜ぶ類の音とは全く逆の響きかもしれない。植物たちは大自然から切り離され人工的に鉢に「植え付けられて(plant)」いるが、それは苦痛を伴わないのだろうか。例えば消費目的だった場合、自然を鉢に植え付けて音楽を聴かせ、生長を促す栽培方法は、その先の人間の利益のためにあるだろう。また、本来の自然は人間にとって心地よい楽園の姿をしているとは限らず、むしろ恐ろしい存在にもなる。しかしながら、こうした印象を覚える一方で、この演奏の中で植物と聴衆とが同じノイズの振動を身体に感じ取り、共鳴することができたようにも思えた。
  この日、筆者は《Music for Plants》を通して、人間と自然の間にある様々な境界線の存在や、「~のために」という言い回しの陰で見落とされがちな小さなさざめきの大事さに、改めて気づかされたのである。もちろん、この演奏の各フレーズに意味を当てはめること自体ナンセンスかも知れず、同じ音に全く違う感想を持つ聴衆も大勢いたと思われる。《Music for Plants》という作品は、自然と人間にまつわる多義的な意味をもたらして当然であろう。
  しかし、ある種の大規模な発電所 (Power Plant)の場合、人の手によって据え付けられた施設でありながら、「~のため」という言い回しに、人々の生活より先に「コスト」といった言葉が当てはめられてしまうようである。以下には、大友の取り組みについて「プロジェクトFUKUSHIMA!4」を中心に述べていきたい。

2011フェスティバルFUKUSHIMA! 地引雄一氏撮影

2011フェスティバルFUKUSHIMA! 菊池修氏撮影

  ギタリストでターンテーブル奏者の大友良英は、ノイズミュージックの演奏家であると同時に、ジャズやポップスなど複数ジャンルに渡って作曲を行い、映像作品も含め多数の楽曲提供をしている。美術作品にも携わり、また参加者のプロアマや年齢などの属性を問わない「アンサンブルズ」と称するイベントを催すなど、幅広い活躍を見せている。だが彼の活動は上記のものにとどまらない。筆者は2011年8月20日のトークから、大友がパンクミュージシャン・遠藤ミチロウ、詩人・和合亮一と共同代表を務める「プロジェクトFUKUSHIMA!」を知ることとなった。
  大友は少年期を福島で過ごした人物であり、両親は今も福島県に住んでいる。震災後の原発事故によって、この土地の多くの地域に放射性物質が拡がり人々が住む場所を奪われたことに、彼は大きな衝撃を受けた。4月11日、東京から福島に入り現地の人々と話した大友は、皆が心に大きな傷を負い、「心からだらだらと血を流しているようにすら」見えたという5。そして同じ頃、二本松市出身の遠藤から、8月15日に「原発なんてクソ喰らえ」というフリーフェスをやらないかと提案される。当初、皆が大変な状況にある中で開催する是非をためらいながらも、和合らも交えた福島の人々と話すうちに、テーマを原発だけではなく、福島の今後へと向けていったという。
  更に、これらの計画を「プロジェクトFUKUSHIMA!」としたのには次のような理由があった。大友は、海外の反原発デモの映像に「NO MORE FUKUSHIMA」というプラカードを見つけた際、同じ事故を二度と起こすべきではないというメッセージには共感しつつも、自分が育った場所とアイデンティティが否定されたような感覚を覚えたという。そして、こうした不名誉でネガティヴな響きを、ポジティヴに転換していきたいという意志を込めた「プロジェクトFUKUSHIMA!」が動き出した。
  この日の大友のトークの中で印象的だったのは、育った土地が酷い目に遭っているという怒りを原動力に、全身全霊を尽くし活動しながらも、福島への思いをその距離感も含め率直に語っていたことである。転校生だった小学校時代から東京の音楽に憧れた高校時代まで、地元に馴染めなかった彼は、卒業後に上京して以降、この時になるまで福島に故郷としての愛着を抱くことがなかった。2011年8月15日に福島市「四季の里」と「あづま球場」で野外フェス「フェスティバルFUKUSHIMA!」を実現した際も、ステージ上で福島出身のミュージシャンたちが「福島!!」と叫ぶ声を聞きながらも、自身は何故か声に出して言えなかったという。
  筆者は、こうした出身地への真摯な思いと仲介者としての冷静な判断力を併せ持つ大友の姿勢が、福島の今後を考える中で提案した「長期的な展望」にも表れているのではないかと感じた。そこで目指されていたのは、単なる反体制的な批判や一過性の反対運動ではなく、現地の人たちの暮らしに長い目を向けた現実的方策である。当時、原発事故や反原発デモのことを報道すべきメディアが正常に機能せず、ネットからも確かな情報が得られない状況を痛感した大友らは、放射性物質に関する勉強会などの取り組みを自主的に行うことに決めたという。例えば「フェスティバルFUKUSHIMA!」を行うにあたっても、放射線衛生学の専門家・木村真三に意見を仰ぎ、会場の線量を詳しく計測した上で催行の判断をし、更にセシウムが風で舞い上がって参加者の肌に直接触れぬよう、芝生一帯に「大風呂敷」を敷いた。大風呂敷とは日本全国から募った風呂敷を地元の人々の協力で縫い合わせたもので、6000平米分もの大きさになった。また、当初会場で出さない予定だった食品についても、担当者が地元の食に思いを込め、全品目を計測することで販売できたという。各所から厳しい批判を浴びながらも、出演者約300人、観客約1万3000人、USTREAMの閲覧約25万にもなる大規模なフェスティバルは成功を収めた。
  「プロジェクトFUKUSHIMA!」はこのように、専門家の助言に基づいた判断を前提とし、進行に当たって生じた迷いもプロセスとして見せようとしている。また大友は、福島の農作物の風評被害の対策として、検査を徹底することの重要性も提言している。都合の悪い部分も隠さず見せ、嘘をつかないという方針は、安全神話が崩壊しメディアへの不信が募っていた状況を踏まえた上で、重要なものだったと思われる。更にトークが行われた頃の、アートが伝統秩序に回帰するような傾向に対しては、それのみでもシニカルなカウンターカルチャーだけでもなく、新しい形が必要だと述べていた。シリアスな表現ばかりでは長続きしないとし、福島発信の表現者の存在や当事者でなければ言えないブラックユーモアの必要性にも触れている点から、大友がアートの在り方について現地の人々の心情やその将来を、つねに念頭に置いていることが感じられた。

  2011年8月から数か月を経て、2012年以降に行われた対談が収められた著書においても、大友の基本的な姿勢は変わっていない7。しかし、時が過ぎていく中で新たに生まれた状況や、気づかれ始めたこともまた伝わってくる。
  「長期的に」続けるという展望は翌年も敢行され、2012年8月15日から26日までの12日間に渡り、「フェスティバルFUKUSHIMA!」が再び開かれた。前回の「大風呂敷」を用いつつ、更にそこから旗が作られたが、そのパッチワーク状の生地で出来た旗には一つとして同じ柄がない。オープニングでは、福島のみならず日本全国や海外も含む100の会場で、これらバラバラの旗を一斉に立てることが目指された。そこには、「一つになろう」とすることで生まれてしまった分断に対し、敢えて「一つじゃない」というメッセージを掲げ、各自が意見を主張できるような豊かなあり方を伝えようとする思いがあったそうである。

2012フェスティバルFUKUSHIMA! 菊池修氏撮影

2012フェスティバルFUKUSHIMA! 菊池修氏撮影

  大友は様々な分断線の存在に気づき、憂いている。原発推進か/反原発か、福島に行ったか/行っていないか、といった数多くの分断が敵味方の線のごとく機能し、「避難か除染か」という考えに代表されるような安易な二項対立が問題の解決を妨げているという 。また、福島の内側にいる人々と外側の人たちの意識のズレの大きさや、反原発運動や住民の避難に関し、たとえ善意の言動でも傷つけ合ってしまう事態がある点を問題視し 、福島に対し「ふたを閉め」、他の地域は今まで通りに過ごそうとする動きがあることにも言及している。
  こうした背景を踏まえ、音楽や祭り(フェスティバル)の意義についても、改めて考えが展開されている。人々が言葉や意見の上で「一つに」なることができないのに対し、音楽の共演では、たとえ意見の異なる者同士でも自他の身体性が入り乱れ、各自ばらばらの音を出しながら全体を成す 。音楽は誰かを励ますためでも何かの役に立つものでもなく、問題に正面から向かっていくための体力、生きる力をつけるためのものだという 。大友にとって、音楽やアートは線を引くものではなく、むしろ見えない境界線を可視化し、疑問を投げかける役目を持つのである。
  一方、長期的なスパンにおける音楽フェスティバルや文化の役割については、「祭り」という観点から、震災と原発事故のことを「忘却」するその仕方こそが重視されている。人が忘却する生き物だということを踏まえつつ、セシウムの半減期より早く薄れていってしまう記憶に対し、文化によって杙を打ち込むことが必要だという。それは歴史上で、災害のあった場所に教訓として石碑や物語が残されてきたことと同様である。そして、祭りを「忘却の儀式」とする大友は恐らく、忘れないためだけでなく、被害者がフラッシュバックする辛い記憶を共有し、恐怖心を発散する心のケアの機会としてもこれを捉えていると思われる 。
  自身が顔の見える「メディア」になるべきという発言の通り、大友は様々な専門家との出会いやネットワークを拡げ、繋ぐ存在となってきた(例えば2012年の著書では、脚本家や経済学者、放射線衛生学者、果樹園経営者や非営利団体のメンバー、ライター、医療政策学者、社会学者からもんじゅ君に至るまで)。彼らの語りの中では、恒久除染の問題、農業における100年以上のスパンを見据えた取り組みや、スマートグリッドという新たなエネルギー供給のITシステムの提言、震災前から続いてきた中央対地方の問題(および、中央対地方という対立軸自体の問題)についてなど、様々な示唆がもたらされている。とりわけ、ここに各人によって問題に対する異なるリアクションや、関わり方の多様な姿が表れていることが印象的であった。

  以上に挙げてきた大友の活動は、一つきりの結論を急がず、それぞれの立場や意見、感情を個人個人のレベルから感じ取る態度が根底にあるからこそ、出来ることなのではないだろうか。それは、普段気づかなくとも実はそこにある微細なノイズを、彼が演奏によってすくいあげ、増幅させ、響き渡らせることと似ているのかもしれない。こうした響きが私たちの間でも共振すれば、それは境界線を引きフタをしてきた現実について聞こえないふりをやめ、聴く耳を持つ力となるだろう。これまで直接被災地で支援をしたことがなく、音楽の専門家ですらない筆者にレヴューを書く資格があるのか、当初非常にためらいを感じた。しかし大友の音楽を通してその活動を知ったために、この分断線を越え、無関係ではないという意識を持つことから始めようと思えたことが、以上のレヴューを書くに至った動機である。
(初出:kalonsJournal第2号 http://www.kalons.net/oj/


[附記]本レヴューは、2013年3月に執筆したものです。
執筆にあたっては、大友良英氏より懇切なご指摘を頂戴し、プロジェクトFUKUSHIMA!事務局の富山明子様に画像提供のご協力を賜りました。末筆ながらここに記して御礼申し上げます。

 


脚注
1 http://www.honeyee.com/think/2011/peter_coffin/
2 http://www.yaf.or.jp/ycc/event/2011/08/2011-3.php
3 http://www.honeyee.com/think/2011/peter_coffin/
4 「プロジェクトFUKUSHIMA!」公式ホームページは次を参照。http://www.pj-fukushima.jp/
5 大友良英、金子勝、児玉龍彦、坂本龍一『フクシマからはじめる日本の未来』アスペクト、2012年、pp.19-20.
6 『フクシマからはじめる日本の未来』、pp.21-22.
7 大友良英、金子勝、児玉龍彦、坂本龍一『フクシマからはじめる日本の未来』アスペクト、2012年3月発行; 大友良英『シャッター商店街と線量計―大友良英のノイズ原論』2012年12月発行。
また、「大友良英 日本語ホームページ」には、2011年4月28日東京芸術大学で行われた大友による特別講演の内容が掲載されている。
    http://www.japanimprov.com/yotomo/yotomoj/essays/fukushima.html
8 『フクシマからはじめる日本の未来』pp.31-35.
9 『フクシマからはじめる日本の未来』p p.29-30.
10 大友良英『シャッター商店街と線量計―大友良英のノイズ原論』p.31.
11 『フクシマからはじめる日本の未来』p.94.
12 『シャッター商店街と線量計―大友良英のノイズ原論』p.96, p.138.
13 『フクシマからはじめる日本の未来』pp.72-73.
14 『フクシマからはじめる日本の未来』pp.30-31.
15 『シャッター商店街と線量計―大友良英のノイズ原論』p.106, pp.275-76.

 

最終更新 2015年 10月 20日
 

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