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衣川明子:in our skin
展覧会
執筆: カロンズネット編集3   
公開日: 2014年 1月 16日

Akiko Kinugawa, Untitled, Oil on canvas, 2013, h.60.5 × w.50.0 cm
衣川 明子、無題、キャンバスに油彩

生き物はみな皮をもち、そのなかに血と肉が収まっています。また同様に、自分にも他者にも〈意識〉が在るということが自明の事実とされています。しかし形を持たず、そのすがたを見ることも触れることもできない〈意識〉とは一体どこに存在しているのでしょうか。実体無きゆえに、所在を証明することはけして容易くないと言えますが、それでもその存在を確かに実感できるのが、目が合ったとき、だと衣川は考えます。

他者と対峙した時に互いの焦点が合う瞬間、そこで行われているのが図像として相手を認識することではなく、互いの〈意識〉その存在をみつけあうことだとすれば、 眼差しは体を貫き、その先にある〈意識〉の見えない輪郭を捉えているのかもしれません。衣川によって描かれる、人間とも動物とも定められない名付け得ないものたちが、いつもこちらへと注ぐ真っ直ぐな視線は、まさしくその一瞬とも永遠ともつかないような時間のなかで幾度となく行き来する〈意識〉の軌跡をあらわします。そしてまなざしの起点であった顔は、肉体の一部という存在である以上に、画面に擦り付け ては立ち現れる相手に向き合う衣川の一連の所作を通して、結果的に〈意識〉自体を 宿した絵の顔となるのです。だからこそわたしたちは、他者あるいはその絵の前に立つ時、同じくこの瞬間に引き込まれ、互いの目を逸らすことができず、ただ立ち尽くしてしまうのでしょう。

衣川はこれまで中心に描いてきた顔のほかに、意識の所在への注視に伴って、実体の確かな肉体へと関心を寄せるようになりました。画面に肉体が現れることで、顔/ 意識へと集中していた視野は広がり、そのすがたや所在を再度ひとつずつ確かめるように描き出します。また以前描かれていた肉体は、命を投げ出すかのように急所をさらけ出し、観る者に不安をもたらす脆さをもっていましたが、衣川の言う「目があったとき」のようなふとした瞬間の肉体の無防備さをもとらえることで静かに現実との距離を詰め、より自然に意識を求める姿勢が見受けられます。肉体に対する感覚を補うように絵の具には厚みが増し、薄塗りから物質感をともなう表現へと変化を遂げ、 また仄暗かった背景にも色が増えてきました。加えて表題にある「皮」も鍵となると言えるでしょう。皮を境とする内と外の存在に対して問いかけられる〈意識〉の所在が、肉体や顔を越え、皮の向こうから透け出されるように画面へと表されています。

本展では、新たな変化を迎えた新作約10点を発表いたします。

[作家コメント]
血があり肉があり、骨があって、意識がある。
それらが皮に包まれて、個の動物としてある。
しかし意識は皮に収まってはいないようにも思う。
はみ出しているというか、どこにあるかわからないというか。
向こうの意識に見つけられることで、自分以外の意識の存在を見つけるような瞬間。
結局、皮膚の中に意識を見つけるような。
見つけることで、見つけられるような、感覚。

衣川明子

[作家プロフィール]
衣川明子は1986年生まれ。2012年武蔵野美術大学大学院造形研究科美術専攻油絵コースを修了し、同年gallery αMにて個展「絵画、それを愛と呼ぶことにしようVol.6衣川明子」(キュレーター:保坂健二朗/東京国立近代美術館主任研究員)が開催されるなど、今後益々の活躍が期待される若手作家です。

オープニングレセプション:1月25日(土)18:00-20:00


全文提供:ARATANIURANO
会期:2014年1月25日(土)~2014年2月22日(土)
時間:11:00 - 19:00
休日:日・月曜、祝日
会場:ARATANIURANO
最終更新 2014年 1月 25日
 

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