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菅木志雄:庭づくりによるアクティヴェイション
展覧会
執筆: 記事中参照   
公開日: 2009年 8月 05日

画像提供:板室温泉 大黒屋

菅自身が観衆を前に、様々な身近な素材を用いてその場で作品を制作していく、「アクティヴェイション」と名づけたプロジェクト。今回は庭づくりをテーマに取り組む。

風土のハザマ
「場」の空気は、さまざまなものをつなぐロープのようなものである。空気は、ものに沿っていくと同時に人(意識)は沿うものである。

アクティヴェイションは、「もの」が「もの」であるために必要であるし、であるために必要である。ということは、「もの」とは、世界の同じ基盤を支える支柱であるということである。

活性化とは、逆説的な意味で、自己存在の弱さに、あるいはまた、「もの」それ自体の<存在性の深さ>に気づくことである。状態界をのせる作用でもある。それによって、意識からはずれていたものをリアルなかたちで受容できる。

空気が動けば風になるように、人が動けば、すでにある秩序がこわれ、単なるになる。というのも、意識はつねにあらたな「場」に沿っていないと心性のリアリティーを発揚できないからである。

人の行為は、無数にかつ多様に在るものを、ひとつのシステムに集約する指向性をもっている。けれども、集約されたとたん、多くのもののリアルさは失われ、行為そのものが、意味を失うことを知らなければならない。が、それをさけるには、プロセスそのものを活性化することである。

自然(庭)は、一見静止しているようで、たえず動いている。にもかかわらず、あまり意識をかきみだされないのは、意識もまた自然の動きに同調して動いているからである。そのような状況で、なんらかの<こと>によって、動きをとめるならば、個々の存在の息吹きの強さと方向がはっきりする。
- 菅 木志雄

作家コメント提供: 板室温泉 大黒屋

最終更新 2009年 9月 01日
 

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