ウィリアム・ケントリッジ-歩きながら歴史を考える |
展覧会 |
執筆: カロンズネット編集 |
公開日: 2009年 12月 29日 |
そしてドローイングは動き始めた…… この展覧会は、南アフリカ出身で、現代を代表するアーティストであるウィリアム・ケントリッジの活動を、約120点の作品によって紹介するものです。 ウィリアム・ケントリッジ(1955年南アフリカ共和国生まれ、ヨハネスブルグ在住)は、1980年代末から、ドローイングを映画用撮影カメラでコマ撮りし、文字どおり「動くドローイング」とも呼べるアニメーション・フィルムの制作を開始します。それは木炭とパステルで描いたドローイングを部分的に描き直しながら、1コマ毎に撮影する気の遠くなるような作業から生み出される作品です。絶えず流動し変化し続けるドローイングの記録の連鎖から生まれる彼のアニメーションには、消しきれない以前のドローイングの痕跡が残され、堆積された時間の厚みをうかがわせる重厚さにあふれた表現となっています。 彼の作品は南アフリカの歴史と社会状況を色濃く反映しており、自国のアパルトヘイトの歴史を痛みと共に語る連作《プロジェクションのための9つのドローイング》は、脱西欧中心主義を訴えるポストコロニアル批評と共鳴する美術的実践として、1995年のヨハネスブルグ・ビエンナーレや1997年のドクメンタ10を契機に世界中から大きな注目を集めるようになりました。しかし彼の作品を冷静に注意深く解読すると、その政治的外見の奥で、状況に抗する個人の善意と挫折、庇護と抑圧の両義性、そして分断された自我を再統合しようとする努力とその不可能性など、近代の人間が直面してきた普遍的かつ根源的問題を、執拗に検証し語り続けていることが分かります。ケントリッジ自身が「石器時代の映画制作」と呼ぶ素朴な制作技法に固執していることも、それが近代の物語(ナラティヴ)生成の原点、あるいは歴史を遡りながら植民地主義の病理を啓蒙主義の中に探ろうとする彼の強い意志によるものと理解すべきなのかもしれません。 精緻なセル画アニメやCGが主流である現代にあって、ケントリッジの素朴なアニメーション技法はその対極に位置していますが、彼の力強い表現は、ドローイングのコマ撮りアニメーションがいまだに有力な表現手法となり得ることを証明しており、1990年代中頃から彼の作品は、世界中の若い世代の美術家たちに大きな影響を与え続けています。 いま世界で最も注目を集める美術家の一人であるケントリッジは、2009年3月のサンフランシスコ近代美術館を皮切りに、フォートワース近代美術館(テキサス)、ノートン美術館(フロリダ)、ニューヨーク近代美術館、アルベルティーナ美術館(ウィーン)、イスラエル美術館(エルサレム)、ステデリック美術館(アムステルダム)を会場に、大規模な世界巡回展が進行しています。 日本での展覧会は、ウィリアム・ケントリッジとの3年間にわたる緊密な協力と広範な準備作業を経て実現されるもので、我が国では初の個展となります。南アフリカの歴史を扱った代表作《プロジェクションのための9つのドローイング》(1989–2003)から、ショスタコーヴィチのオペラ『鼻』を題材にした最新作の《俺は俺ではない、あの馬も俺のではない》(2008)まで、フィルム・インスタレーション4点を含む19点の映像作品と、36点の素描、63点の版画によりケントリッジの活動の全貌を紹介します。 作家略歴 ※全文提供: 東京国立近代美術館 |
最終更新 2010年 1月 02日 |