展覧会
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執筆: 記事中参照
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公開日: 2009年 3月 28日 |
俯瞰してみると世界は様々な意味を持つレイヤーが重なったり離れたりを繰り返す状態にある。海面で暖められた水蒸気が上昇し雲になったり、様々なものが重なり合って地層がつくられる。近づいてみると「私」もまた、過去に見たり聞いたりしたことと、現在「私」を取りまく風景が重なり合い、何かを思い、忘れる。私たちはたえず何かを見て何かを思い、聞いて何かを思い出しという繰り返しによって「私」というものがあるように感じている。
絵のなかには数々のイメージが散らばっていて、一瞬、子供の形を描くが、散逸する。そしてその形作られた子供を、より俯瞰して見てみると、それは小さな固定したかの様に見える子供のイメージとなり、もっと大きな別の形のものの1パーツになっているかもしれない。世界のな かに「私」がいると同時に、「私」のなかに世界がいると感じられる。
過去に見たり聞いたりしたものと、現在「私」を取り巻く風景が何重にも映しだされ、また消え、映し出されと繰り返される心象が「私」であるならば、「私」の中にはいろいろなものを映しだす泉があると考えてみる。その泉は過去も現在も映しだすことができる。泉の水面に映し出 されるものは、色や形を少しずつ変えながらいろいろな場所にいくつも姿を現す。「私」の中に泉があるのであれば、外のものの中にも泉はある。
「私」と何かが向き合った時に、つまり泉と泉が向き合う。泉と泉が互いに映しあうことになり、ゆらぎをともないながら無限に反射を続けることになる。そのような状態が私にとっての常であるとするならば、そのなかで何かを求めようとすることは、屈折し、反射を繰り返す像の後をついて一緒に螺旋を描きながらくるくると回り続けるようなものである。
- 原游
※全文提供: 野田コンテンポラリー
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最終更新 2009年 4月 15日 |