展覧会
|
執筆: 記事中参照
|
公開日: 2018年 3月 07日 |
現在アートフロントギャラリーでは、磯野迪子の個展を開催しています。是非お越しください。 光あれ。すると光があった。聖書では神が混沌とした世界の中で最初に作ったものが光とされている。世界を構成する要素として、光は人にとって極めて重要な要素なのだ。光によって、モノが見えることで人は色を感じ、形を識別する。アートにおいては造作が最も重要な要素であると思われがちであるが、見る人が無ければアートは存在できない。作り手であるアーティストも世界を観察することで造作する。光があること、見ることこそ、創作と並んでアートの根幹であると言っても差し支えないだろう。 磯野迪子の作品、とりわけ今回の展示では、世界を「見る」観察者としての作り手のありかた、そして「光」をどのように制作に取り込むかを追求した作品に取り組んでいる。
磯野は客観的に観察した世界のありようを映像や写真を使って記録し、それらを様々な素材に置き換えて見せる作家。2012年にはベランダに布団を干してある団地を時間を変えて撮った写真をもとに映像作品を発表、翌年には雨の日の交差点を真上から撮影することで、行き交う色とりどり傘が止まったり動いたりする流れを見せる映像とともに傘の写真をガラスに閉じ込めた作品を制作した。いずれも日常風景が不思議に絵画作品のように見せる面白い作品であったが、同時に磯野は作品を通してアーティストと共に街を客観的に眺める観察者としての立場に観客を立たせ、日常気付かない風景の面白さに気付かせる。今回の展示作品は交差点を行き交う人々、知らない人同士が一瞬出会い、すれ違ってゆく都市の不思議な空間を切り取った写真で立体作品を試み、単に写真という素材であるというだけでなく、作品を見るために光が大きな役割を果たしそうだ。 それにしても密度を表現するとともに、見る側の視点の変化を作品に取り込むためにスリットとなった磯野の作品の形状が、竹中のフイルムの形状と似てきたことは単なる偶然なのだろうか。世界を記録し、それを再生させて観客に見せるための素材であるフイルムやそれに似た形状が、データ化の時代の中で媒体として消えつつある今である。この2つの展覧会から素材としてのフイルムについて考える余地があるのかも知れない。
アートフロントギャラリー 近藤俊郎
http://artfrontgallery.com/
全文提供:アートフロントギャラリー
会期:2018年3月2日(金) 〜 2018年3月25日(日) 時間:11:00 - 19:00 休日:月曜日 会場:アートフロントギャラリー
|
最終更新 2018年 3月 02日 |