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やなぎみわ:Lullaby
展覧会
執筆: カロンズネット編集   
公開日: 2010年 2月 16日

《Lullaby》イメージスケッチ 画像提供:ラットホールギャラリー copy right(c) Miwa YANAGI

2009年は作家にとって大いに充実した1年でした。3月、東京都写真美術館での「My Grandmothers」展を皮切りに、6月のヴェネチア・ビエンナーレ日本館での新作「Windswept Women」、同月の国立国際美術館での「婆々娘々」展と3つの個展を行ないました。

特にヴェネチア・ビエンナーレで発表した新作「Windswept Women」は、これまでやなぎの写真作品に内包されていた演劇性が、より物理的な形を伴ったインスタレーションとして具現化された作品です。巨大なフォトフレームに入った肖像写真が、日本館を包む巨大なテントと、映像作品「The Old Girls' Troupe」上映のため会場内部に設置された崩れかかった子供サイズの入り口を持つテントという、2つのサイズ違いのテントとシンクロし、鑑賞者のスケール感を身体的に惑わせる空間を作り上げました。

今回、ラットホールギャラリーで発表される新作「Lullaby」は、以前より作家がテーマとしている老女と少女という年代の違う2人の女性が登場する映像作品です。サイズが不釣り合いな閉じられた空間の中で対立しながらも同化し、入り乱れ、絡みあい、縺れ合う2人。やがて閉じられた空間は2人の動きが進むにつれ、変容、崩壊していきます。「Windswept Women」と少なからぬ繋がりを持ったこの作品は、演劇的ともいえる2人の身体的な対峙、家屋や家族的関係性の無意味性などが映像から浮き上がってきます。世代の違う2人はそれぞれの世代を代表するのではなく、アンビバレントな存在であります。それは固定的な女性への価値観を揺るがすための存在ともいえるでしょう。

「Kagome Kagome」(1998年)、「Granddaughters」(2002年)、「砂少女」(2004年)、「砂女」(2005年)、「Fortune Telling」(2005年)、そして「The Old Girls' Troupe」(2009年)など、やなぎみわの多くの映像作品では、出来事の初めと終わりがあるにもかかわらず、恰も繰りかえされることが当然の様に、現実と想像が入り乱れ、事象もしくは語られる物語が切れずに容赦なく続きます。現実世界に終わりがないように、やなぎによって作り出された我々の分身ともいえる作品内の女性達にも結末が訪れることはなく、ひたすら日常における小さな破壊と創造を繰り返す強さを持ち続けるのです。

※全文提供: ラットホールギャラリー

最終更新 2010年 1月 29日
 

編集部ノート    執筆:桝田倫広


子を持つある母親から「娘に嫉妬する」と聞いたことがある。自分が失いつつある若さを謳歌する、娘の存在が許せないというのだ。娘は門限が厳しく、母親は私を家のベッドに縛り付ける気だわ、と不満をこぼしている。それは、まさしく「白雪姫」のエピソードを思い起こさせる。 やなぎみわは母と娘ではなく、祖母らしき人物と孫娘らしき人物とを対戦させる。安物のプロレス興行のような貧相な格闘なかで垣間見える、老女のお面を被った女性と娘のお面を被った女性のふくらはぎは、どちらもとても発達していて気味が悪い。愛憎と恩讐の彼方に、勝つのはどちらか。いや、そもそも果たして勝つことは幸せなのか。しがみつかない方がいいのではないか。因縁の泥試合の結末は、展覧会場にて。乞うご期待。


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