島田一葉:よだか -宮沢賢治「よだかの星」より- |
展覧会 |
執筆: 記事中参照 |
公開日: 2014年 6月 26日 |
2014年7月4日(金)から7月16日(水)までの12日間、gallery nearにて、島田一葉 展「よだか -宮沢賢治「よだかの星」より-」を開催いたします。 島田は主に和紙を用い、パステルや岩絵の具、木炭、ペン、アルミ箔といった様々な素材を組み合わせ1つの画面を構築します。表現する画面には、直線や円弧、四角形など図形が随所に表れ、それらを組み合わせた幾何学的で整列された印象を受けるドローイング作品も生み出しております。和紙をベースにしたコラージュ作品が現在の主な表現手法となってはおりますが、高校、大学時代はキャンバスに油彩で表現しておりました。大学卒業後に勤務した動物病院での死と向かい合う壮絶な日々を繰り返す中で、何の疑問もなく固定観念的に選択していた油彩表現への限界を感じ、この頃から自らの意思を持って油彩から別の材料・画材を意識したと言います。油彩からクレヨン、キャンバスから紙、木枠からパネル、素材の混成、紙から和紙、筆から木片や布など、凝り固まった自身の表現を溶解するかのようにあらゆる素材を試し、取り入れ、全ての素材が心地よく混ざる世界を追求していく中で、いわゆるコラージュという技法が現在の島田の表現における大きな根幹となるに至りました。島田は自身の身の回り、社会環境の中で得られるモノを画材として選択、使用しており、普段の生活に近い距離での表現を意識しております。前述した図形の描写も、小学校の子供達と関わる中で、算数で用いられる図形が美しいと感じ、それらを表現に取り入れたいという思いから定規やコンパスなど様々な筆記具を用い出しました。使用する和紙は、自身で漉いた手漉き和紙と市販の和紙を織り交ぜたり、より大きな画面を作る為、紙をミシンで縫い合わせたりと、島田の日常に添いながら、自由な発想と奔放な素材選びが織りなす見事なまでの独創性は、技法における概念に新たな気づきを投げかけているようであります。 今冬に開催された個展「おおかみの生命線」(ギャラリー檜/東京)で展示され、注目を集めた作品「霧の中で君を探す」(2013年)は、730×1030mmの画面4点が横1列に配された四部作となっており、横幅4mを超える大作です。詩的な印象を受ける作品群の中でも、特にその存在感を示し、その大きさもさることながら、対峙したときの画面が醸す既視感に魅き込まれます。部作で構成する視点からも物語性を感じさせ、4つの画面からは起承転結ともとれる印象を受けます。まだ霧が立ちこめる前の明るい印象の「一部」、少しずつ霧が立ち込め、月を包み込まんとする「二部」、そしてもはや霧に覆い隠された世界で少しの光を頼りに必死に探す「三部」、完全に視界が奪われ光が闇に溶け込んだ「四部」。というように、鑑賞者がそれぞれに物語りを紡いでいけるような創造性を刺激する連作となっており、鑑賞後は一冊の小説を読み終えたような感覚を覚え、続編を待ち望むかのように期待感で溢れます。様々な素材・道具を用いて描かれることで浮かび上がる独特な質感、ストーリー性を帯びた表現達は、他に類を見ない世界観を放ち、情景を切り取ったような作品タイトルにより、更に文学的な印象が加味され、より物語性と神秘性が増した表現へと変貌していきます。 本展は「よだか -宮沢賢治「よだかの星」より-」と題され、新作を中心に大小様々な作品で構成されます。「よだかの星」は宮沢賢治の名著であり、文学的な側面を内包する島田の表現により、どのような内容となるのか大いに期待が高まります。「よだかの星」は、「よだか」と呼ばれる心優しい鳥でありながら、外見の醜さにより他の鳥たちから疎まれ、鷹からもその名前の紛らわしさから改名しなければ殺すとまで言われます。様々な矛盾や理不尽さに耐えかね、最後には自ら星になるという物語です。現代社会に照らし拡大解釈するならば、ニートやいじめの問題といった現代の日本社会が抱える問題にも似た背景が本作からも感じられ、よだかの抱える自己矛盾や社会不適合、純粋さ故に全ての感情を飲み込み自らを追い込んでしまう姿が現代の若者とリンクし、そういったことからも教育の現場に携わり、また日々の生活を表現に生かす島田が無意識のうちにテーマとして選び取った要因なのかもしれません。 本展をぜひ、ご高覧くださいますよう、何卒よろしくお願いいたします。 全文提供:cafe dining near ∽ gallery near 会期:2014年7月4日(金)~2014年7月16日(水) |
最終更新 2014年 7月 04日 |