来るべき世界 |
展覧会 |
執筆: 記事中参照 |
公開日: 2011年 7月 20日 |
中比良真子 《overthere No.6》(部分)|2011年 / 970×1300mm / Oil on Canvas|画像提供:neutron tokyo|Copyright© Masako Nakahira 私達の住む世界を一変させた、未曾有の大災害。三月十一日以前 とそれ以後では全く様相が異なる中、この時代に生きて制作する作家は、果たして何を思い、感じ、生み出そうとするのだろうか。 現実世界の虚飾が剥がれ落ちた目の前の光景から逃げず、「3.11」以後に制作された作品のみで構成される展覧会。 この企画の全売上の10%は被災地への義援金とさせて頂きます。 出展作家 全文提供: neutron tokyo 会期: 2011年7月20日(水)-2011年8月14日(日) |
最終更新 2011年 7月 20日 |
3月11日以後、アーティストたちは「何を思い、感じ、生み出そうとする」のかをテーマに、「3.11」以後に制作された作品のみで構成される所属作家によるグループショー。
展覧会のモチベーションやテーマは、東日本大震災を発端としたものだが、震災を直接的にテーマとした作品が展示されているわけではない。アーティストはそれぞれの世界を「3.11」以前と変わらずに展開している。※註1 展覧会タイトル「来るべき世界」から震災やカタストロフィなイメージを期待する鑑賞者にとっては期待が外れるだろうが、すべてのアーティストが現実の出来事をモチーフとするわけではないし、その必要もないだろう。※註2 むしろ、「来るべき世界」という未来志向のタイトルを冠すことで、3.11以後も制作を続けるアーティストの揺るがない世界観をこそ見るべきだろう。もし、変わったとするならば、3.11を経た鑑賞者の感覚や作品の見方かもしれない。
例えば、幼い子どもを持つ親を撮影した写真家・廣瀬育子の家族写真《family portrait》は、「来るべき世界」が明瞭に感じられる作品だ。震災前であれば、微笑ましい家族写真として受け取られるだけかもしれない。だが、震災後のいま、親たちは「来るべき世界」を背負う人々として、子どもたちは「来るべき世界」を生きる世代として重みをもって感じられる。刺激的でも衝撃的でもないごく一般的な家族の写真が、「来るべき世界」を予感させること。「来るべき世界」は、人間が担い、作り出していくものとだと静かに伝えてくる作品だ。
※註1: 誤解なきよう付け加えると、本稿は震災後に制作された作品が変わっていない(=震災の影響を受けていない、震災を具体的イメージとして表象・表現していない)ことを批判するものではない。
※註2: ここでは、心理学的な影響は考察の対象外とする。