展覧会
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執筆: 記事中参照
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公開日: 2009年 7月 21日 |
普段気にも留めないありふれたものに、少しの隙間を加える。あるいは天地を入れ替えたり、裏返したり。ときにはコマのようにいつまでも回転し続ける、一見するとユーモラスな今村の作品は、心静かに対面すると、日常と表裏一体にある深遠な世界が観る人の眼前に広がってくる、かぎりなくスケールの大きなものばかりです。 今展では、約10年前からはじめた自刻像の制作を通して思索を深めていった、意識する、あるいは意識せずとも存在する“わたし”に焦点をあて、自刻像を中心とした新作の発表を行います。
わたしにキク 自刻像の制作から何となく始まった‘わたし’という事への関心は、次第に私の中の齟齬として膨れあがってきた。この私の意識がすることの異物感ばかりが目立ち始め、それが私の身体のどれだけのことに届いているのかと問えば、身体の中のほとんどのことには届きえない。それでも身体はうまくやっているとすればその私とはいったい何なんだろうか。 分子生物学が描く身体像は、一生変わらないとされる脳の神経細胞や心臓の細胞、骨でさえも、その構成要素のアミノ酸分子はことごとく川の流れのように作られては壊れ、廃棄されて体外に排出されていく、身体とはその流れのよどみのような物だと説く。 だとすれば、そのよどみに変わらず私を維持し続けることは如何なることなのか。今、よどみに浮かんだうたかたの私はすっかり流れを忘れて浮かび上がる。今や飛び上がらんばかりである。だが、このよどみでたまたま泡として浮かんだこの私が、周りの水や川の流れに目を向けるとはなはだ脆弱な危うい存在であり、そのことが深い孤独と不安を同時に伴うことであったはずです。 私が作品を作るということですでに立ってしまっている場所について考えなければならないと思っています。この矛盾に満ちた場所に立ちながらもどれだけこの矛盾の重みに耐え続けられるのか、甚だ自信がもてません。(今村 源)
全文提供: ギャラリーノマル
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最終更新 2009年 7月 21日 |