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中西信洋:Interference
レビュー
執筆: 平田 剛志   
公開日: 2010年 7月 15日

fig. 1 《Layer Drawing lantern - Interference》
Intallation view at Gallery Nomart, 2010
photo by Haruo Kaneko|画像提供:ギャラリーノマル

fig. 2 《Layer Drawing lantern - Interference》詳細
photo by Haruo Kaneko|画像提供:ギャラリーノマル

fig. 3 《Layer Drawing - Sunrise》2007-2008年
Installation view at Mori Art Museum,"Roppongi Crossing 2007"|photo by Keizo Kioku|画像提供:ギャラリーノマル

     現在、スイスでも個展を開催中の中西信洋による新作個展。ギャラリーに入ると、円環状にフィルムが回転するインスタレーション7点が空間全体に展開されている[fig. 1]。やや見上げるような位置にループされ続けている各円環の写真を見ると、写っているのは手、両足の指、両足、眼、口、髪を撮影したものであることがわかる[fig. 2]。どうやらそれは作家自身の身体の各部位のようである。環の中心にはランプがあり、その光が内側からあてられることで、壁面に身体のイメージが投影されている。古典的な幻燈装置を思わせる装置によって写真が壁面に投影される空間は、写真イメージが動き出す原初的な視覚体験を想起させられ、ノスタルジックな記憶へと鑑賞者を誘う。

     だが、環の中でループし続ける写真は手や口が開いたり閉じたりするばかりで、興趣をそそるイメージではない。写真にストーリーがあるわけでも、スペクタクルな光景が写されるわけでもない。また、フィルムサイズが小さいため、周囲の作品が視界に入り、見ることを「干渉」する。

     しかし、ループするフィルムの外に出て、空間を眺めたとき、空間の見え方が写真のネガポジのように反転する。つまり、本作品の試みとは、回転する身体パーツのイメージとイメージが空間や壁面に干渉しあうことにあるのだと気がつくのだ。手から足へ、足から眼へ、眼から口へ、口から髪へ、そして髪から手へ。身体の各部位は1つのパーツごとにループし続ける。だが、そのイメージは他の部位のイメージと壁面上で重なり合い、そのイメージを変容していく。そう、本作品はフィルムイメージではなく、壁や空間に投影された「光」をこそ見るべきなのだ。

     そして、当初は違和感があった本作品も中西のかつてのレイヤードローイングやウォールドローイングなどで展開されてきた延長線上にあることに気付く。例えば、十数枚の写真がレイヤー状に重ねられて展示された『Layer Drawing – Sunrise』(2007)[fig. 3]における写真の集積が新たなイメージを形成しだす鑑賞・知覚経験は、本展でさらに拡張・展開されたと言えるだろう。本展において、中西は映像と映像の間に私たちの身体を介入/干渉させ、作品の「間」へと取り込むのだ。

     強いて言えば、もう少し容易に「干渉」に気がつく展示であればよかったかもしれない。作品のテーマやコンセプトに気がつかなければ、ひたすらループする写真/映像を鑑賞して終わることになるかもしれないからだ。つまり、本展に用いられる写真は、写真家が被写体や構図の美的な美しさを提示する写真とは異なり、写真を彫刻的に空間に在らしめることを試みているからである。だからこそ、本展はこのような大掛かりな装置を必要としたのだ。

     写真や映像を自然に、違和感なく見せる機材や設備は充実してきている時代でありながら、中西は本展で映像を見ること、投影することの原初的光景を提示する。切断/断絶された身体部位の映像の連鎖から、鑑賞者は欠損された身体/人物/映像をパーツとして受け取り、統合する。そのループし続ける映像の洪水は今も私の記憶に干渉し続けている。

最終更新 2010年 7月 18日
 

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