オノ・ヨーコ:A HOLE |
レビュー |
執筆: 小金沢 智 |
公開日: 2010年 1月 18日 |
壁面にガラス板が展示され、中央の展示台にもガラス板が設置されている。いずれのガラス板にもヒビが入っているが、そのヒビの原因が銃によるものと想像するのは、ガラス板全体を巻き込み、いびつなヒビを作りながら中央に空いている小さな「穴」の存在から難しくない。弾痕である。 弾痕を基点に全体に入っているヒビは、見ようによっては、まるで記号化された太陽のようにも見えなくない。しかし、厚いガラスを突き抜け、穴を空けるだけに留まらずその周辺までも破壊する銃の威力は、そのような軽々しい想像を容易に飛び越え、ただ暴力そのものとして私の前にあらわれる。 だが、作者であるオノ・ヨーコの目的は銃による暴力や悲劇だけを見せることではない。すべての作品の下部に記載された文言と、中央の台座を用いて展示している作品が全体の肝である。
そう、ここでオノは暴力の象徴である弾痕の意味の転換を提案している。一方からもう一方へ視点を変えることで、撃ち込まれた弾丸の反対側に、暴力ではない夢や希望などの可能性を見ることはできないかとオノは私たちに提案するのである。オノらしい、非常にポジティブなメッセージがここには籠められているのだ。 けれども、ここでオノと私の環境の差異も明らかになる。日本の法律は一般人の銃の所持を特別な場合を除き認めていない。警察官や自衛官など特別な職業にある場合や、あるいは狩猟やクレー射撃などで使用する場合の他、自衛のためでも銃を所持することは認められていないのである。そこが、比較的銃の規制が緩和なアメリカに住んでいるオノと私の大きな違いである。銃を用いたこのような作品が日本で作られることは法律上考えられない。つまり、このような作品を作ることができてしまうということこそ銃がいかにオノの身近にあるかの証左にほかならず、かつ、銃が身近にない私の現状も浮き彫りにするのである。この環境の違いは、オノが求めるリアリティを感じることができるか否かにも繋がっている。 言うまでもなく、オノの夫であるジョン・レノンは1980年12月8日、ファンを名乗る男性に銃撃され死亡した。今回の新作展の会期は命日を含んでいる。だからこの弾痕は、そのような愛しい人の「死」に繋がる恐怖を前提としてこそ、夢や希望をその反対側の視点から見るのはどうかと他者に提案することを可能にしている。暴力から希望へ。この転換の困難さは、何よりオノ自身が実感しているに違いない。それでも、理不尽な暴力に負けるのではなく希望に賭けること。この作品は、オノ・ヨーコによる作品だからこその切実さと説得力がある。求めるところを受け止めたい。 参照展覧会展覧会名: オノ・ヨーコ:A HOLE |
最終更新 2010年 6月 13日 |