妻木良三:境景 |
レビュー |
執筆: 小金沢 智 |
公開日: 2009年 7月 09日 |
fig. 1 ≪境景 I ≫2009年|pencil on paper mounted on panel| 直径 90cm|画像提供: レントゲンヴェルケ 円形の画面。私たちはまるで望遠鏡を覗き込むように、そこに描かれている風景を見る。一見山水画のように見えるその風景はしかし、きわめて現実離れしている。尖形の山々らしきものがそこかしこに聳えながら、全体がとろとろと溶け出し、それでいてそのまま隆起しているような、えも言われぬ描写なのである。円形が描画の曲線を強調し、線が一所に留まらず動き続けている。それらはいわば、風景が確固たるかたちを立ち上げる以前の、風景の原始とでも呼びたくなる何か、か。 レントゲンヴェルケで開催された妻木良三の個展「境景」(2009年6月5日〜6月27日)は円形の作品を展示の骨格とすることで、幻惑的な風景のつかみ所のなさを美しく、かつ的確に表現することに成功していた。アングルが《トルコ風呂》(1862年、ルーブル美術館)で効果的に利用しているが、円形の作品は対象をまるで覗き見ているかのような錯覚を鑑賞者に引き起こす力がある。妻木が本展のステイトメントに「画面を円形にすることで、膜を介したこちら側と向こう側の境界、その窓としての境界を捉えようとしました」と記しているように、鑑賞者が立つのはまさしく一つの窓を介したあちら=彼岸とこちら=此岸の狭間なのである。 展覧会からは作家が円形の作品とスクエアのそれを明確な区別の元に制作していることがわかる。「境景」と名付けられた前者が円形の縁の一部を添うように、つまりその形を生かして描かれていることとは対照的に、「ZONE」と名付けられた後者は支持体の形に依拠せず、画面の中心に独立した存在として描かれている。 fig. 2 ≪境景 II ≫2009年|pencil on paper mounted on panel|直径 90cm|画像提供:レントゲンヴェルケ 私は目黒区立美術館でのグループ展「線の迷宮〈ラビリンス〉Ⅱ—鉛筆と黒鉛の旋律」(2007年7月7日〜9月9日)で初めて妻木の作品を見た時の、作品中の、さながら山々に囲まれた湖のごとくぽっかりと空いた楕円形の空間の印象が強く残っている。興味深いのは、「境景」シリーズでそれがほとんど消滅していることである。≪境景Ⅰ≫(鉛筆・紙、直径90cm、2009年)[fig. 1]の中心、その向かって左側が、同作で私が言わんとする空間だ。ここから≪境景Ⅱ≫(鉛筆・紙、直径90cm、2009年)[fig. 2]への変化が劇的なのである。≪境景Ⅰ≫はその空間こそが画面を統一へと向かわせ、堅牢な世界を現出させるのに一役買っている。しかし≪境景Ⅱ≫は同様の空間が存在しないため、核がなく、流動的なのである。その変貌は、定形から不定形へ、求心から拡散へ、静的から動的へ、作家が構築しようと試みる世界像の重大な変化のように私には思われる。動的な描線はいずれ渦巻くような奔放さを備え、すべてを無に帰するのではないか。そう、想像してしまう。 妻木の作品は、決して分かりやすいタイプの作品ではない。鉛筆というおそらく多くの人が使用経験のある画材であることからその入口は広いと考えられるが、描かれているものは釈然とせず、物語的要素を見出すことも困難である。けれどももはや明らかだろう。もし物語があるのであれば、それはこのあとに生成されるべきものにほかならない。妻木の描くものは、具体的なかたちを立ち上げる前の、未だ世界からその名を与えられていない朧な存在なのである。だから、この上なく生々しい。 |
最終更新 2010年 6月 13日 |