展覧会
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執筆: 記事中参照
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公開日: 2014年 9月 04日 |
*木曜日〜日曜日のみ一般オープン [月曜日〜水曜日観覧ご希望の方は
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今回水野の作品を紹介するにあたって最大の魅力は、作品にただようある種の「虚無感」である。 破壊を目的とした装置、すなわち戦車、装甲車、自走砲。 それ自身が破壊されたその様を、破壊の過程までをも再現しようとする造形と彩色は、作家のすさまじい執念にほかならない。 この水野の立体作品には、破壊しつくされ既に何ものでもなくなり土に還って行く虚無感さえ漂っている。これこそ、まさに芭蕉の句がふさわしい。
水野シゲユキは1990年、名古屋 ギャラリープレンティスでの個展から現代美術作家としてのキャリアをスタートさせた。 しかし美術の世界に閉塞感を覚えた彼は、ほどなくしてモデラーとしての道を歩み始める。 立体の写実ともいうべき精緻な表現を引き出す力量は、特に破損、破壊という戦場の基本的な要素、例えば戦車の装甲板の砲弾による裂け目、燃えた煉瓦……な ど、通常、再現が困難なそれらの表現において、いかんなく発揮され、彼の才能は国際的な評価を得るまでとなる。
今回の展覧会のきっかけともなった本年4月に岡崎市のマサヨシスズキギャラリーでの個展で発表された作品のうち、砲塔を失い、作業用のブルーシートと壊れたキッチンを突っ込まれたT62(旧ソ連の戦車)に、水野のブレイクスルーを見た。 すでにそれはプラモデルにおけるジオラマというサブカルチャーのなかで語られるものではなく、評論される言葉を探すのであるならば、ペーター・フィッシュ リ/ダヴィッド・ヴァイスの名作「Tisch」(1992-93、バーゼル現代美術館、スイス)と同列として語りはじめられるものではないかと感じたので ある。
更に「縹渺ー巧術其之伍」で発表された作品に至っては、主役であったであろう戦車すら排除され、廃墟、廃物のちりばめられた数十センチという小さな舞台に 巨大な虚無感を発生させた。そこには、現代美術を支える哲学的言語を乗り越え、僅か17音のなかに哲学を寓意として忍ばせる芭蕉の世界が存在していた。 水野の作品には「模型」の在り様を乗り越え、それ自身を語る説明的言葉を失い、特定の着地点をもたない表現として、即ち本来の意味での現代美術への領域に到達したのである。
「夏草や兵(つわもの)どもが夢の跡」
その舞台の中に配された枯れた夏草の中にあるのは、「跡」ではなく水野自身の夢そのものであろう。俳句というこれまでにない様式の美術言語を引っさげ、彼は還ってきたのである。
レントゲンヴェルケ 池内務
全文提供:レントゲンヴェルケ
会期:2014年8月21日(木)~2014年9月14日(日) 時間:11:00 - 19:00 会場:レントゲンヴェルケ
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最終更新 2014年 8月 21日 |